うっわー……。銃撃を受けて神格化するとは思ったが……。
今日から配信の『ジャナタガレージ』を途中まで見ました。やっぱりこの曲好きだ!
最初のカットは図書館だと思ってたら役所でした。そりゃ図書館で暴れるの変だもんね。(役所でも変だろ)
https://www.youtube.com/watch?si=3WVB3d5CbP7Fr8d2&v=H0x-wU9X6E8&feature=youtu.be
『サラール』のデーヴァ
冒頭の子ども時代シーンで示されているのは、デーヴァの強さというよりも"恐れ知らず"なんだと思う。
まだ子どものデーヴァが大男と普通にやり合ったら絶対に適わない。でもデーヴァは、普通なら絶対に取らないような自分が死ぬかもしれない方法(感電)を使って勝つ。それは腕力的な強さというより、普通なら恐怖で出来ないことをやってのける、普通のルールが通じない人間だから。
ヴァラダがデーヴァを度々制止するのも、腕力そのものではなく、そういう普通のルールの通じなさを理解しているからだろう。これは子ども時代もカンサールに戻った2010でも同じで、相手がどれほど大きな権力を持っていてもデーヴァは構わず殺してしまう。子ども時代、大人のレスラーに挑んだのと同じように。
一方でカンサールは"恐怖"によって人々を支配してきたことが繰り返し強調される。そこに現れた"恐れ知らず"のデーヴァは、カンサール内部の権力関係やルールを駆使して争おうとする首領たちとは本質的に違う。カンサールの根幹にあるそもそもの理屈=恐怖が通じない治外法権な相手だ。
だからこそ、「強い」ではなく「狂気だ」が強調されるんじゃないだろうか。既存の権力が敷いているルールの通じなさ、それを「狂気」と呼んでるんじゃないかな。
https://books.rakuten.co.jp/search?g=000&merch=e012275&scid=we_bks_twt_blu_20240719_1
楽天で買うと楽天限定の特典あるの?ほほう??
https://www.twin2.co.jp/catalog/rrr/
ついに……!
ついにRRRの円盤が、出るぞー!!!!
わけわらかんほど特典もあるぞー!!!
インド映画ファンダム、なまじ宗教や神話の知識があるため無理にそれと繋げてしまい、普通に見れば分かる単純な読み解きが出来なくなってるケースをよく見る…。
なんと地元の『サラール』上映が明日で終わります。なんだと。
絶賛公開中の『SALAAR/サラール』より、ヒットメーカー プラシャーント・ニール監督のインタビューが到着! - SCREEN ONLINE(スクリーンオンライン) https://screenonline.jp/_ct/17711218
いいインタビューだった。写真も素敵。
もう来週発売&配信レンタル開始なのかBlu-ray買おうかな。NETFLIXでは見放題になるそうなので皆さんぜひ見るといいですよ…… #夜明けのすべて
「夜明けのすべて」見放題配信がNetflixでスタート、劇場パンフの販売も決定 - 映画ナタリー
https://natalie.mu/eiga/news/582280
『サラール』シャウリャンガ族への巨大感情
まず、カンサールの説明パートで、英国の植民地支配でも広大なインドすべてを統治することはできずカンサールは生き残ったというのがさらっと出てきて、ここで心打たれちゃったのね。
インドに1000年の歴史を持つ国(的なもの)がある設定にするためにはそうするしかないわけだけど、すごく被植民地支配の歴史を持つ国ならではの願望がつまってもいて、しかも広大なインドだからこそ出てくる発想でもある。
けど、カンサールは誇り高き独立国家インドとは距離を置き、違法行為を吸い込む恐怖のブラックホール、一種の裏インドとして発展する。
その弱肉強食の中で名前も文化も、神すら奪われた民族。それが我らの主人公だ!と言われたときに、なんだよ終わる頃になって私の主食を出してくんのかい早く食わせろになった。早く2ください。
『サラール』ひとまずプラバースのこと
力の発動をコントロールできてない感じも含め、デーヴァは自覚的な殺人マシーンというより『アベンジャーズ』のハルクなどに近い。それも、エドワードノートン演じる「怒らせたら怖そう」感のあるハルクではなく、マークラファロ演じる「マジで全然怒らなそう(でも怒ったら規格外に強い)」ハルクだ。
子供にさえバカにされてしまうデーヴァの「マジで怒らなそう」な感じが、ヴァラダとの無垢な友情を可能にしていると思う。これがもうちょっと孤独でミステリアスなキャラクターになると、そもそも熱い友情自体が成立しづらくなってくる。
この絶妙なバランスを生んでいるのが、プラバースのもつ隠しきれない優しさ、無防備さ、一種の不器用さみたいなもので、キャラクターと実によく合っていると思った。
それと、私がKGFに乗れなかった大きな理由として、主人公がヒロインに酷いことしすぎ&言いすぎというのがあって、同じ監督の作品なので『サラール』もその面を結構心配していた。
でも、プラバース演じるデーヴァは女性を雑に扱う危うさはまったく無く、そういう意味でも安心して見ていられる。男くさい血まみれ暴力映画でありながらミソジニックな感じもせず、お話に集中して楽しむことができた。
『サラール』ひとまずプラバースのこと
以前『サーホー』の感想で「プラバースは独特のコメディセンスをもっと活かしてほしい」と読んだことがあって、それを思い出した。
もちろん『サラール』はコメディとはほど遠い血なまぐさい権力闘争の話だし、結構ゴアなアクションもある。でも、それなのに、デーヴァはとんでもなく愛嬌があるのだ。
お出掛けするときママの了承得るとか、そもそも門限6時とか(早すぎない?)、設定がもたらす可愛さもあるけど、ただ立っているだけで世話を焼きたくなるような魅力がデーヴァにはある。これは演技とか演出を越えた、プラバースその人が持っている個性だと思う。
本作は『イコライザー』や『ジョンウィック(一作目)』などと同じく「なめてた相手が殺人マシーンだった」系アクション映画に分類できる。
冒頭、子供時代のエピソードでデーヴァの強さはすでに示されているので、観客はデーヴァがいつキレて殺人マシーンとしての本性を表すのか見守ることになる。ようするに「タメ」の時間だ。
同じ「なめてた~」系映画でもこの「タメ」の描き方は様々で、「タメ」こそが主人公の人間性を決めると言って良い。孤独でミステリアスな人物として描く場合もあれば、年齢や身体的ハンデなど明らかに不利な特徴を持っている場合もある。→続
語学がんばるフェミニスト。セミベジタリアン。よく映画の話をします。トランスの人権を守れ。