にじーずに対してネチネチと印象操作をしていた千田有紀武蔵大教授のコメントを聞きたいね。
LGBT団体を中傷、X投稿者に賠償命令 支援者「若者に必要な場」:朝日新聞デジタル
兵庫県議会の件だけど、
知事も県議も、ともに民意に選ばれた対等な存在で、
この仕組み (二元代表制) によって、首長による権力の
暴走や私物化を防ぎ、健全な地方自治が保たれるようになっている。
今回の不信任は、県議会は立派にその役割 (権力の監視と調査) を果たした、ってことなので、
斎藤が勝ったからって責任を問われる筋合いは全くない
ここをカンチガイして「不信任を出した県議は責任を取るべき」
とか言ってるのが石丸伸二など。
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兵庫に関しては、兵庫にあるサンテレビのコメンテーターかアナウンサー、泉房穂が「今までごめん」みたいな感じで、県知事選のあとすぐに発言を翻した。それだけのことをされることが彼らはよくわかっているということ、そして民意ってこれほど恐ろしいものであること。
ここだけでも見てほしい。
ちょっと勘違いがあったが、玉木減税の額面、富裕層だと低所得者層の4倍以上だなこれ見ると。
アメリカはガザ虐殺の主犯の一人として記録されるべきだろうな。
国連安保理 ガザの即時停戦など決議案提出も 米の拒否権で否決 | NHK
Colaboについて虚偽を並べ立て、「インフルエンサー」を中心としたSNS上のコミュニケーションを通じて暴力へのハードルを下げ、物理的な暴力の脅威すら伴うかたちで活動への妨害もたらす「ネット暴徒」は、それによってまた、Colaboがアウトリーチしていた少女・若年女性たちから必要な支援や選択肢を奪っている。
同じように、にじーずに対して虚偽を並べ立て、SNS上の異常な閉鎖性のなかでトランスジェンダー・LGBTQへの憎悪をたかめ、貴重なアウトリーチの手段すら奪った「ネット暴徒」は、またにじーずが作ってきた貴重な居場所を危険にさらし、つまるところにじーずの作る居場所を必要とするユースに対して実害を行使しつづけている。
こんな無茶苦茶なことが許されていいはずがない。暴徒は暴徒。公金がどうだとか、グルーミングによる被害から若者を守るとか、意味不明な大義を掲げながらNPOを攻撃している人たちの暴力性を助長するプラットフォームは、害が大きすぎる。そしてその暴力性を「ネットのこと」としてスルーしてきた主流メディアにも、責任の一端はある。ただ、一部の政治家すらその暴力に加担しているのではあるけれど。
署名しました
兵庫県知事選に関連した立花孝志氏の行為に対して、公正な調査を求めます
政見放送におけるデマ拡散、情報流出
立花孝志氏は、兵庫県知事選の政見放送において、根拠の乏しい情報を含む発言を行いました。特に、個人のプライバシーに関わる内容が含まれており、多くの有権者がこれを判断材料とした結果、選挙の公正性が損なわれたとの指摘があります。このような行為は、公職選挙法や個人情報保護法に抵触する可能性があり、選挙における情報の信頼性と有権者の判断に重大な影響を及ぼします。
百条委員会委員への威圧的行為
立花氏は、百条委員会の委員の自宅前で街頭演説を行うなど、威圧的とも取れる行動を繰り返しています。これらの行為は、委員の業務遂行に支障をきたす可能性があり、威力業務妨害罪や住居侵入罪に該当する恐れがあります。また、民主的な議論の場を乱し、公務員の職務遂行を妨害する行為として、地方自治法にも抵触する可能性があります。
李琴峰さんの言葉と行動から、「ただ存在し、生きる権利のために闘う必要がある」というのがどういうことか、わたしは今日また学んだ。また学んだ。生きるために闘いながら、生きているだけでそれが闘いになってしまう人たちの生きざまを学んだ。また学んだ。
闘いつづける仲間たちのことを思いつつ、読み返していたnote。
「あなたは戦士。あなたはサバイバー」。
https://note.com/asexualnight/n/nd828a325700c
毎日新聞の記事は読めないのでFacebookから。
老健局に勤務経験のある元幹部は「現場の事 情を知らない官僚が増えたのが原因ではない か」とみています。かつてと異なり、現場を 行き来する時間を捻出するのが難しくなって いるといいます。https://www.facebook.com/100064570907048/posts/948515637310791/?mibextid=rS40aB7S9Ucbxw6v
現在の国際的な「トランスジェンダー追悼の日」の発端となる追悼集会を1999年に始めたグウェンドリン・アン・スミスさんの言葉を紹介します。グウェンドリンさんは、トランス女性の活動家。短い期間に多くのトランスの人々が殺害される事件が相次ぐなか、ほんの数年前に亡くなった人のことも忘れられてしまうことへの衝撃、そしてトランスの人が殺害されても「悼むべき命」として扱われない世の中の在りかたへの抵抗が、追悼の日の始まりをつくったとされています。
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「トランスジェンダー追悼の日は、トランスジェンダーに敵対的な偏見や、トランスジェンダーを敵対視する人による暴力によって失われた命に光を当てるものです。私たちの権利のために、そしてなによりもまず、私たちがただ存在し、生きる権利のために闘う必要があるというのは、私にとってはいつものことです。とても多くの人が、トランスジェンダーの人々の存在を消そうとしています。ときにそれは、可能な限りもっとも暴力的な仕方で、試みられることもあります。何よりも大切なのは、私たちのもとから失われてしまった人々を覚えること、そして、私たちが正義のために闘いつづけることです。」