表現の自由戦士に対しては、「批判も表現の自由」であり、それによって「表現」が取り下げられることは「規制」「弾圧」ではない、ということがずっと言われていた気がするんだけど、今回のKADOKAWAヘイト本刊行中止に対しては、「フェミニスト」たちから「表現の自由が!」という声があがっているのがなんだかなー
※『「スカートが履きたくてピンクが好きならあなたは心が女のトランスジェンダー!」って言うやつトランスヘイター以外で見たことない』というのは、「トランスヘイターではない人でこの世の中にそういう事を言う人が一人もいない」というわけではありません。
少なくとも当事者やLGBTQsに関わる活動をしている人の中で、そういう風潮があったりそれが一般的になっていたりすることはないということです。
ファッションや色の好みなどから「トランスジェンダーだ」という決めつけをされたことがある、された場面を見たことがある、という人の経験を否定するものではありません。
そのような決めつけは間違ったものであり、批判されるべきものであると考えます。
『「性別にとらわれず何を好きになっても、どんな服を着ても自由」ではなく最近は「スカートが履きたくてピンクが好きならあなたは心が女のトランスジェンダー!」って言われる』っていう謎言説がトランスヘイター内で流行ってるみたいだけどそんなこと言うやつトランスヘイター以外で見たことないな…
「女装」やコスプレの人を勝手に「これがトランスジェンダー!」っていって晒したりするし…
でもこういう人の動かし方をする人に「そういうふうに、不満だということを伝えて相手に察してもらって動いてもらおうとするのではなくて、どういう解決を望んでいるのか伝えて、コミュニケーションして解決をはかってください」みたいなことを言える立場の人って大人になればもうあんまりいないよね。年一回一緒に仕事するだけの外部の人に私も指摘はしないし…
動く人は動いて仕事は進み、
動かない人とは仕事は進まない、
というふうになるだけ。そういうやり方で察して動いてくれる人とだけ仕事をしたいんだと言われればまあそうなのかもしれないけども、私は問題が起こったときにはお互いコミュニケーションして解決をはかりたいタイプなので相性が良くないなー。
A社とB氏の仲介的な立場にいる私にB氏から連絡があり、
「A社宛の書類のこの部分をこういう書き方にしたい」ということだったので
「A社に相談してOKもらいました、他の部分の書き方はこうしてください」と返信したところ、
「それでは結局書き直しですね」
とだけ返ってきて驚いたんだけど、それってマジのマジでただ感想を送ってきただけなのか、「書き直しになる」ということを私に告げることによって私がその解決のために動くことを望んでるのかどっちなんだろう。
仕事がスムーズにいってもらいたい私の立場上、ほったらかすわけにもいかないので「それではその部分はA社にこういうふうに処理をするようにお願いをするので、そのままで構いません」と返信したら「助かります」と来たけど…
でも友達じゃないんだから感想だけ送ってきたとも思えないし、ちょっとモラっぽい感じがある人なので、そういう言い方で人を動かすことに慣れてるのかもしれないと思ったり。
「それではその部分が書き直しになってしまい手間がかかる。すでにこういうふうに書いてあるので、それではだめか」というふうに言ってもらえれば、私とB氏の間ももっとスムーズに話が進むんだけどなあ。
出生時に割り当てられた性別とは異なるバイナリーなジェンダーアイデンティティを持っているキリスト者。