さっきRBしたニュースなんかもそうだけど、人生、このままいつまでも変わらず享受できると思っていたものが享受できなくなることなんて全然ある、そうなってしまったときに「生きていけない」にならないような社会であってほしいと私は思うんだよね。でもそれが嫌だという人はその理由は何なんだろうな。
「ずるい」なのかな。
それとも、「"まとも"にがんばっているひとなら幸せにいきていけるはず」みたいなことを信じたくて、享受できるはずのものを享受できていないそうじゃない人は「まとも」に「がんばって」ないに違いないということにしたいのかな。
こういう人なんか切り捨てればいい!と言う人も、いつ切り捨てられる側になってしまうかわからないのに。でも自分では自分のことを「誰を切り捨てるか選べる側」にいると思ってる、またはそう信じたいのだろうか。