いぬのせなか座の山本浩貴さんが『文フリと批評から』セルフ引用している話、私も割と似通った認識なのですが、ただし“小さな荒れ果てたメインストリート”で楽器を鳴らしたり、球を蹴ったりする楽しさと意義を信じています。
別の荒れ果てたメインストリートと、セッションや交流戦をやることもまだ可能なので。かつて荒野から何度かカルチャーが立ち上がったこともあるので。
(リンク先X)
https://x.com/hiroki_yamamoto/status/1871063991059145099?t=zki9OI-T2qoF1QYx5zglpQ&s=19
あっ、「から」の位置が違った。『文フリと批評』です。
別のストリートに行っていいんですよ。どこもさびれゆく商店街だとしても、もう少しマシなストリートに遊びに行っていい。
ナボコフほか第一言語以外の言葉に転向した作家だっているし、スタニスワフ・レムや劉慈欣みたいに突然世界でブームになる作家もいるし。