エモという言葉の成立経緯に対する、主観的な思い出です。

メロディアスなパンクロックがemotional hardcore、略してemoと呼ばれて
1. 英語圏ではやがてちょっとバカにした意味になる(顔やファッションで人気のバンド、或いはゴスな少年を指す言葉)
2. 日本では激情系・叙情系ハードコアという音楽サブジャンルができる

音楽用語としての定着が90年代~00年代前半くらい。上記2の情感を掻き立てるイメージがエモいやエモみという表現になっていったような。
上記1の青春や“病み”成分はもともと日本ではさほど意図されていなくて、後から合流していそうな気がします。

2010年代前半には口語の軽口で使う程度で、書き言葉としては使いませんでした。他人に意味が伝わるとは思えなかったからだと思います。

私がツイートに使い始めたのが2015年。このころは主に喪失のセンチメンタルを形容してそう。
三省堂が「今年の新語」に選んだのが2016年でした。

文化系での本格的なブーム(2010年代半ば)→90年代の「泣きゲー」や00年代の「セカイ系」との概念の部分的な混交→写真や動画のプラットフォームが充実していく中でしっかりと定着(コンテンツの展開に対する感想ではなく、反射的な感覚としてのエモも一般的になった)……のでしょうか。

2016年の『君の名は。』の大ヒットと、2016年のinstagram、2017年のtiktokが大きかったと思います。

文章表現としての「エモ」と、画像・映像表現としての「エモ」を分けて考えるとスッキリするんですが、(出自は音楽用語とはいえ現在では)前者が「言葉にできない気持ち」を表す言葉という曖昧なものであるのに対し、後者はデータベース消費で結構わかりやすいと思うんです。
「青空」「ひまわり畑」「学校の教室」「純喫茶」等々、ノスタルジーの対象になりそうな要素を組み合わせて画像や映像を投稿するとエモくなる。「パターン化されたエモ」という表現が少し前にありましたが、これは画像・映像表現の文脈だと分かりやすいんですよね。「言葉にできない気持ち」だと、パターン化されませんから。

そして、『君の名は。』というか新海誠は泣きゲーやセカイ系の繋がりで語れるけれども、instagramなどの画像・映像表現としての「エモ」はそれらとの直接的な流れで語れるかというと難しいというか。

instagramなどにエモい写真を投稿する人が、泣きゲーやセカイ系に興味を持っているかというとそうとも言えなくて、『君の名は。』を経由した間接的な影響に留まっている。
系譜と言えるかもしれないけれど、一度、ここで断絶している気がします。

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@wak 直結してはいないですね。異なるジャンルやクラスタを跨いでしばしば飛び火したり、混ざったりしていそうなので、時期やクラスタによって何がエモかは異なる気がします。今のほうが退廃の成分が強くなってるんじゃないかなとか。
エモの系統樹を見たいです。

『よふかしのうた』などは退廃的なエモですよね。確かに最近になって、またエモに退廃的な要素が混じってきたのは面白いです。
あと、東急歌舞伎町タワーのようなド派手なネオンサインの風景もエモの文脈と捉えると、中国の国潮や韓国のニュートロなどに日本のエモが合流したようで、さらに複雑になりますね。

エモの系統樹は私も見たいですね…とんでもなく複雑なものになっていると思います。

@wak 私もちょうど中韓のレトロブームとも繋がりそうと考えていました。ベトナムで人気の共産主義風カフェチェーン(2023.1)も似た流れかもしれません。
www3.nhk.or.jp/news/special/in
エモが便利すぎるせいで、包括する範囲も広すぎる印象です。

ベトナムの共産主義風カフェチェーンは知りませんでした…こういうお店があるんですね。
最近は大久保駅周辺にベトナム料理屋が増えているから、いずれはこういうカフェもオープンするのかも?ですね。

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