“原子力発電は、鉱山とは異なり、その立地は自然条件よりも、より多く社会的条件に左右された。つまりその立地は、近代日本の不均等発展を直接に反映し、その相対的に「弱い環」に集中した。だが、労働の非人間性、隔絶、汚染といった特徴は、鉱山からそのまま引き継がれている。
したがって、それはやはり、立地周辺の人びとの生業を、土、川、海から引き剥がすかたちですすめられたし、いまも、そのようにしてすすめられている。
発電所の内部では、必然的に生命の危険をともなう安全性の配慮の乏しい過酷な労働であるために、使い捨ての不安定労働にゆだねられ、幾重もの下請け構造が構築され、「暴力団」による手配がおこなわれピンハネがあり、困窮者を集める、事故の隠蔽、という構造がみてとれる。
建設は、地方の困窮につけこみ、住民の抵抗を札束と暴力で分断し、たがいに不信と憎悪を持ち込んだ。
原発労働者は、廃坑になって職を失ったかつての炭鉱労働者が多く活用された。ここにもまた既視感がある。”
#読書
08.「しがみつく者たち」に──水俣・足尾銅山・福島から
https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1107&ct=8
収容された捕りょが消ひするものは捕りょをとったくにじゃなくて、捕りょをだしたくにが負担する。ところで日本帝国の戦陣訓を参照すれば東南アジア連合国軍は日本が「神軍に捕りょは存在しない」と主張して収容所の消ひ物しの弁済に応じない可のせがあると予そできる。そこではたらかざるもの食うべからず」とゆ自然法を外国人に適用して、日本ぐん捕りょが消ひしたぶんをかれらの一部の労どによって確保したのだろな。
英語とか、多様な発音があるし、個々人の発音はその人の出自に深く関ってくるので、発音を「矯正」するといふのはポリティカリー・インコレクトとされてきてるかもしれない。なので、外語として学習する人にとっては、あんまり嬉しくないかもしれない
「ケツ盛りダイヤ」は知ってたけど、「頭はねダイヤ」ははじめて知った。
ケツ盛りダイヤとは、終点一つ前〜終点の間(普通に走れば1、2分で着く)の所要時間を5分とか10分とか確保して、途中停留所の早発防止をはかるやつ。
こんにゃくピンチなのね。じゃあ買ってきて婚約者と今夜食う。こんにゃくこんやくしゃとこんやくう。婚約者なんていないし今夜は夜勤😇
https://mainichi.jp/articles/20240820/k00/00m/020/192000c
きのこ。しろい。くろい切株が好物