【4月上旬にあった良いこと】
「街なかに座って休憩できる場所があまりにも少ない」
ということを地元の障害当事者らで数年間言い続け、市議経由で「せめてまずはバス停にベンチを設けてください」ということをしつこく言ってもらっていたんだけど、4月の通院の時にクリニックの最寄りバス停に着いた時に感動した。
新しいベンチがある!
しかも排除ベンチじゃなくてしっかりした背もたれのある普通のベンチだ!
言い続けてきてよかったと本当に思った。
次は日差しと雨避けになる屋根が必要だな…!
車椅子ユーザーにとってはベンチは使えないので寧ろそっちが重要な人が多い(自力で傘させない人も多いし)
屋根に関しては、バス停の目の前にコンビニがある所なんかはコンビニ内で日差しや雨を凌ぐこともできるけど、座れるとは限らないし、コンビニも無いバス停だとなんにもないと待つのが厳しいし、コンビニがある所だって潰れちゃうかもしれない訳だし、やっぱりバス停にベンチと屋根は必要だと思うな。
そしてバス停以外にも要所要所に休憩できる場所がほしいよね。
住みやすいまちづくりって「ここにいてもいいよ」のサイン(手段)をいっぱい増やすことだと思う。
障害者だけに限らず、あったほうが助かる人多いでしょ?やろうよ。
っていう感じで進んでいったらいいなと思いました。
赤旗を配達している人が「一時停止しなかった」とケーサツに車内を捜索された話を見た。
アメリカだと一時停止しなかった、ウィンカーを使わなかった、テールランプが壊れてるなどなどで警察に止められる時がBIPOCやトランスパーソンにはとてもとても危険なのよ。アメリカでは毎年1500人くらい警察に射殺されるんだけど、その多くはこういう交通違反の「取り締まり」から始まる。Just cause(正当な理由)があれば車内を捜索できるんだけど、ケーサツには交通違反もjust causeだし、ケーサツに止められて緊張しているのもjust cause。
だからアメリカの左翼の人達はクラファンの寄付で、BIPOCやトランスパーソンやただ車のメンテをする予算がない人達のために無料でテールランプやヘッドライトを修理するイベントをやってる。日本もレーシャルプロファイリングとか永住権取り消し法案とかで、ちょっとした交通違反が誰かの人生の分岐点になってしまうこともあるので、こういうイベントがあってもいいと思う。
『徐京植 回想と対話』https://www.koubunken.co.jp/book/b600260.html
「日本国民の皆さん、自分はたまたま日本に生まれただけであって「日本人」であるつもりはないとか、自分は「在日日本人」に過ぎないとか、どうかそんな軽口は叩かないでいただきたい。あなた方が長年の植民地支配によってもたらされた既得権と日常生活における「国民」としての特権を放棄し、今すぐパスポートを引き裂いて自発的難民となる気概を示したときだけ、その言葉は真剣に受け取られるだろう。そうでないかぎり、「他者」はあなた方を「日本人」と名指し続けるのである。」
「『日本人としての責任』をめぐって──半難民の位置から」
https://honto.jp/netstore/pd-book_02154120.html
#読書
合体して都庁ロボになって悪とたたかうのだだ!!
月刊『地平』7月号、アマゾンやヨドバシは即日完売。
熊谷編集長時代の『世界』と同じですね。
(楽天にはまだあるみたいです)
ネットだと、
地平社ブックストアもあります。
http://chiheisha.shop13.makeshop.jp/
どの本を買っても送料は一律200円ですが
定期購読(1年分)は、送料無料になるようです。
最初から1年分申し込むのはちょっと、、、という方は
まずは最初の号を買って、気に入ったら8月号から定期購読ということも。
『徐京植 回想と対話』https://www.koubunken.co.jp/book/b600260.html
“日本の「国民主義」の問題点は、保守派においては「日本人」アイデンティティの過剰から来る国家への同一化、国家主義的・国粋主義的・排外主義的暴力となって現れますが、一方リベラル派においては、「日本人」アイデンティティからの自由の幻想から来る、自らの法的政治的権力的ポジションの忘却ないし否認として現れます。リベラル派はこうして、他者から「日本人としての責任」を問われても、自分はその問いかけから免れていると考える。反対に、朝鮮人として、沖縄人として等々「日本人の責任」を問う相手の方を、「時代遅れの」ナショナリズムに囚われているとして見下すのです。”
責任について、問い続けること──四半世紀の対話から 高橋哲哉 #読書
『徐京植 回想と対話』https://www.koubunken.co.jp/book/b600260.html
“人文科学の領域で一九八〇年代には、一般化したナショナリズム批判、国民国家批判論の潮流が、ポストモダン思想やアイデンティティ批判論などと合流し、リベラルであればあるほど、国家や民族といったものはすでに乗り越えられたと考える傾向が蔓延していました。「在日日本人」という言い方もその一つですが、実際に国籍を持ち、「国民」としての権利を享受していながら、「内的亡命者」や「難民」などに自らをなぞらえ、国家の拘束から自由であるかのように語ることが知的ファッションになったかのようでした。「国境を超える」「越境」などといった言葉の流行も同じ空気の一部でした(後略)。”
責任について、問い続けること──四半世紀の対話から 高橋哲哉 #読書
本日ご紹介するのは、六本木の入場料のかかる本屋さん「文喫」です。
話題の本からちょっとマニアックな本までラインナップは多彩。
併設のカフェで買ったお茶を飲みながら好きな本を眺めたり、ごろごろ寝転がったり誰かと語り合ったり、本屋さんの中で自由に楽しむことが出来ます。
2018年みなとモデルテナント助成を受けたモデル店舗で、
フローリングには山形県金山町のナラ
テーブルとカウンターの天板には岩手県葛巻町のクリ
を使用しています。
本好きな方、六本木でまったりしたくなった方、ぜひ覗いてみてください。
入場無料の企画展もあります。
https://bunkitsu.jp/about/
きのこ。しろい。くろい切株が好物