選挙の棄権者が「冷徹なリアリストを気取った冷笑家」というステレオタイプはなかったななな
今日は、F.カフカの命日。
引用した記事では、カフカをユダヤ系社会主義者と紹介。さらにプラハの左派リバタリアンとカフカとの関係から、「審判」を官僚制の批判と位置づける。
「審判」は全ての傑作と同様に多様な「読み」が可能であり、19世紀末から肥大化する官僚制に翻弄される「無力な」、しかし決してあきらめない「個人」の抵抗の物語、として読むことも勿論可能である。
実際、そのような読解は行われて来たし、「ウィーン精神」のショースキーのように、当時の複雑なオーストリア・ハンガリー帝国の官僚制の文脈に置く試みもある。
いずれにせよ、カフカを当時のプラハのアナーキズムのサークルに置き直す、という視点は、日本の独文学にはない。プラハと言えば、ドイツSPDの指導者も元来カウツキーもプラハのチェコ系であり、最初はオーストリア社会民主党に所属。
オーストリア・ハンガリーはドイツ帝国と異なり、多民族帝国をを前提として複雑な法システムを採用。
またオーストリア社会民主党も「多民族共生」の理論を練り上げていた。O.バウアーなどは最も著名な多民族理論家。
レーニンの「多民族」理論はバウアーをロシア用に翻訳したものに過ぎない。ただし「ソ連」にはロシアという民族名が入っていないのはそのためである。
QT: https://mastodon.social/@workingclasshistory/112545277326557084 [参照]
きのこ。しろい。くろい切株が好物