「そのひとびと」が棲む、「大切な暮らし」は「えらんだから大切」ではなく、「生きている」というそもそもの根源的な生活ゆえの「大切」さで、周縁においやられていても、苦境にあっても、まず「生きている」こと、それを維持するための「大切さ」がここにある。
そしてそこから語られる声は、なかなか、届きにくいものだとおもう。
エッセイの最後で、よこのさんがであった売店の男性の「おれはここにいるから」という言葉。「出て行けない/えらべない」ことが弱さや妥協のように捉えられがちなこの世界で、その言葉をよこのさんが抱えて田舎を見つめ、物語や言葉たちを翻訳し、届けてくれる。
そういう言葉を届けてくれる場所立って、よこのさんも「ここにいる」と、言ってくれていると思って、すごく心強くなった。ほんとに読めてよかった~。
『田舎から見つめる田舎』よこのなな(群像2023年6月号収録)
『シーリと氷の海の海賊たち』の翻訳をされているよこのさんのエッセイ。すごく読みたいと思って図書館で取り寄せてもらって読んだ。
スウェーデンでの暮らしを通して(都市部の/文化の)周縁にいるひとたちを見つめたエッセイ。
「国内外問わず、田舎の物語があまりないのはなぜだろうと常々思っている。単純に人が少なく語り手も少ないからだろうか。いやしでもなく、おみやげをたくさんくれる勝手なふるさとでもなく、リアルな生活の場としての田舎は、いまさら創生などといわれなくてもすでにしっかりとある。美しい心の原風景ではなくても、たとえ否応なしであったとしても、誰かにとっては大切な暮らしの場だ。」
という一文に、『シーリと氷の海の海賊たち』で描かれていたひとびとの暮らしが重なる。それらは決して「望んで」いる場所ではなくて、構造から抜け出したいと望みながらだれかやなにかを搾取するしかなかったり、「いい人」でいられなかったりする場所かもしれない。
#fedibird #読書
盗んだ茶碗でお茶を飲む
#盗んだバイクで走り出す
日本だと本人が輸血を希望すれば医療機関は児相に相談し家裁に親権停止求めることで輸血を行うことができる
けれども、本人が強く信仰に忠実であることを望む場合ってあまり語られてないよね…
宗教2世界隈で語られている内容が事実であれば死亡事例がけっこうある👀
https://www.christiantoday.co.jp/articles/3390/20090316/news.htm
<ビルマ(ミャンマー)情報>
【歩く・見る・撮る】6回目がオープン
この数日、タイとミャンマー(ビルマ)の国境の町、Mae Sot(タイ)とミャワディ(ミャンマー)の名前がメディアで取り沙汰されています。
ミャワディの町がミャンマー軍支配から少数民族武装抵抗組織と
民主化闘争組織の手に渡った、と。
1990年代のメソット付近の国境風景を取りあげています。
はい。
【歩く・見る・撮る】
― 写真民俗誌/民族誌へのいざない ―
ミャンマー(ビルマ)から
にんげんよりもひとをとりかこむ状況や環境のほうが能弁で説得りょくにまさるというのは構造しゅぎがのべる内容のきほん。それがいまはせかいのすみずみまでゆきわたっているんだなな
きのこ。しろい。くろい切株が好物