障害者雇用/就労支援の本は絶対作らなきゃと思ってて、だけどまだわたしがその仕事自体を始めたばかりだから作る準備ができてない。もどかしい。
お客さんのマスクなし率も増えてきていて、なるほどこれが世間一般というものか、と感じている。マスク着用を義務付けるのも違うので特に明示はしないし、これまでもしていない。しかし本屋lighthouseにはあらゆるマイノリティ当事者がお客さんとして来ていることが予測できるし、となるとマイノリティであるがゆえの「病院へのアクセスのしづらさ」を抱えていることも予測可能なわけだから、少なくとも私はマスクをつけて感染&拡散防止に努めることが当然の選択になる。
反差別とか打ち出してると客層狭まりませんか?みたいな懸念を持ってる本屋はいまだに多いけど、むしろ逆なんだよな......とずっと思っている。マジョリティ=気にせずに済む者はどんな本屋にも入れるんだから。というか、反差別訴えてる本屋に入りにくいのはもはや「積極的な差別容認者」ってことなので、来なくていいですって話だし。
「他者に読ませ得る文章を書ける(他者に読まれても自分自身を守れる情報の取捨選択ができる)」ってすごく難しいことだよな…?と実際身をもって気づくようなできごとがあった。
私は一度本が好きだからって理由で本を売る仕事をはじめたけど全然上手くいかなくて、今思えば「本が好き」というのはたぶん本を商う方向性になかったんだと思う。それらにかかることを何もしたくなかったので…。
そしていま、本を作っているけど、この「本を作る」という行為、「本が好き」からは実は生まれていなくて、「本を作らねば生活ができなかった」というやむない事情があったからなんだよな。
「本が好き」は金を稼ぐ仕事をする原動力に私の場合はなりえなかった。本は本としてただ読んでいたくて、「本を作る」は全然別の方向、小さいことだが携帯代を支払うとか奨学金を返すだとか、「生活費を稼ぐ」から始まった。
なんかそのことをぼんやりと考えている。
本のパッケージングも良し悪しだなー。リソグラフなのでしないわけにはいかないんだけど、すると取り出す時に糊で本に傷がついちゃうとかもあるもんな…
来年度に作る本をそろそろ考えなくちゃいけなくて、頼みやすい(理念をおのずから理解してくれている人)周囲の人から一歩外に踏み出して書き手を探して依頼しに行くことで出版物に広がりを持たせたいんだが、まずわたしたちの本作りや私たちという集団を理解してもらうことから入ってもらいたいという気持ちがある。それだったらやっぱ書き手の方にも時間かけて準備が必要だから、来年度だったらもう動き出さないときついよな…という焦りが出てきた。
昔、「人とちがう」というだけで処刑された人たちがいた――魔女裁判の話を聞いたアディは、慰霊碑を作ることを提案するが……。
スコットランドの小さな村で、二人の姉と両親と共に暮らす自閉の少女・アディ。昔、「人とちがう」というだけで魔女の烙印を押され命を奪われた人々がいることを知ったアディは、その過ちの歴史を忘れぬよう村の委員会に慰霊碑を作ることを提案するのだが……。
「わたしも魔女にされていたかもしれない――」魔女として迫害されていた人たちのなかには、自分のような人が含まれていたのではないだろうか……?
先生や友だちからの偏見、自閉的な姉からの理解と、定型発達の姉との距離、人とのちがいを肯定的に捉える転校生との出会い……。「魔女狩り」という史実に絡めて多様性の大切さを訴えつつ、ニューロダイバーシティの見地から自閉の少女の葛藤と成長を描いた感動作。
(版元サイトより引用)
魔女だったかもしれないわたし エル・マクニコル(著/文) - PHP研究所 | 版元ドットコム https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784569880648