私は一度本が好きだからって理由で本を売る仕事をはじめたけど全然上手くいかなくて、今思えば「本が好き」というのはたぶん本を商う方向性になかったんだと思う。それらにかかることを何もしたくなかったので…。
そしていま、本を作っているけど、この「本を作る」という行為、「本が好き」からは実は生まれていなくて、「本を作らねば生活ができなかった」というやむない事情があったからなんだよな。
「本が好き」は金を稼ぐ仕事をする原動力に私の場合はなりえなかった。本は本としてただ読んでいたくて、「本を作る」は全然別の方向、小さいことだが携帯代を支払うとか奨学金を返すだとか、「生活費を稼ぐ」から始まった。
なんかそのことをぼんやりと考えている。
この「本を商うことに挑戦した」ということは『存在している』には書かなくて、書かなかったというよりは「書けなくて」まだ私にとっては客観視できない出来事なんだろうなあと思う。書けることと書けないこと、それが「わかる」というのもまたなんていうか特権なんだろうしなあ。