ちょうど一週間後に某所で話す内容がまさに漢詩直読から訓読の流れに関わることで、レジュメを切っている最中だったので、めっちゃタイムリーな話題でした。この時代はすでに訓読に切り替わっていたと考える方がよいですが、大学寮では音読指導もあったことでしょうから、教授場面では直読もあったか。それこそ「蒙求」のような幼童書くらいのような気もしますが。

ただ、源氏物語・紅葉賀に出てくる有名な青海波を舞うシーンでは「詠し給ひける」という記述があって、朗詠もしたというんですね。で、中世の注釈書を辿っていくとそれは「輪台」という詩であって、直読だったと解釈されるような記述が。

10世紀に漢詩を直読したという文献上の証拠は、今のところ私は知りません。もう少し後の時代は軒並み訓読で、難解な漢語を使いながら日本語文で朗詠したと考えられます。

僕は訓読と教えてます😅また『源氏物語』は設定上醍醐朝なのでやはり訓読ではないでしょうか。青海波は輪台(曲目です)に続けて舞うものです。そこに詠があるとは多分『教訓抄』記載のことだと思いますが、思想大系を見る気力がないのですが、必ずしも詠は直読とは限らないはずです。(歌謡では息を長くして発声するってとってるはず。。。)あと、詠に関してはもしかしたら植田さんが何か書いてたかも?!です。意味もないことをつらつら書いてしまいましたが、新たな面白いことが判明したら教えて下さいませ〜m(_ _)m

んで、教訓抄の記載は音楽的な芸能として直読が残っているっぽくて、かつての名残と見るようですね。まあ普通に考えたら源氏の時代には訓読でしょ。ここんとこ私が取り組んでいる漢詩朗詠についていうと、朗詠要抄に漢音直読の「佳辰令月…」の歌が残っていて、これも化石的残存という。他の歌は全部訓読だもんね。

あ〜確かに直読だ〜康和四年って、1102年。。。そして朗詠要抄ってはぢめて知りました😅サイニーによると(笑)you以外は小野さんと青柳さんが翻刻して鈴木さんが触れてるだけなんですね!歌謡研究としてキチンと確認すると面白そうです。良い情報ありがとうございますm(_ _)m

いやいやご専門の方のコメント心強いです。僕も基本は訓読であるはずと考えていて、その中にも気取った発音とベタに日本語の発音があると考えています。表記上漢文になってる和漢朗詠集の漢字音はやっぱり中国語っぽくて、朗詠要抄の発音はかなり日本語っぽいんです。だから教訓抄の記録は、かつてそうだったということの名残が芸能に残っているだけなんじゃないか、と思ってます☆

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スゴく面白いです!歌謡ってメロディーと詞章の研究はありますが、それ以外はなかなか。。。😅その観点からみると披露の色々な具体的な様相も明らかになるかも♪

北京で発表が終わったら資料だけお送りします。ご批評いただければ幸いです。といって、この話題は学生向け講習会の話題なので、お手柔らかに願います…
とりあえずいまこの講習会用資料が一段落したんで、講習会翌日の発表資料をこれから作るよっ!

わ~い!楽しみにします♪色々頑張って下さいませ〜そして年度末・年度初め、心と身体に余裕がありましたら、久しぶりに呑みにでも行けたら良いですね☆

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