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[アズキ 日本から大陸に渡った作物|日経サイエンス nikkei-science.com/202402_055. "ゲノム解析によって/アズキが縄文時代の日本列島で作物に変化し,アジアの大陸地域へ広まった作物であることが明らかに" ]

アズキの食い方というと,煮るか茹でるかしかないので,縄文時代の人も,いま私らがアズキ食うてるのと大差ない味のものを縄文土器で作って食うてたと思うと微笑ましくなる。砂糖はないけども。

塩アズキというのは,けっこういけるものだよな。私はいつも朝やオヤツに豆大福を食うてるけども,「これに砂糖を入れてなければ,もっといいのにな。酒のアテにもなる」と思っている。

小正月のアズキ粥ってのは律令時代からあるんだが,その起源はハッキリしない。もしかして,弥生文化の後継者たちが,遥か遠い縄文の過去のアズキ食を偲んで食うたものだとしたら。

年越蕎麦というのは,蕎麦切自体が近世のものだけに,そこまで古くは遡れない。せいぜい江戸時代中期程度である。
ソバ粒自体は,それこそ縄文時代から食うてたんだろうけどね。どうやって食ってたか。蕎麦粥かな。

なにせ縄文時代1万年って,それ以後の現代までの時間の10倍近くあるからなあ。その記憶が色濃く残っていても何も不思議じゃないのである。

@awajiya 韮山代官江川家での鏡開き汁子は塩味と聞いております。
家子郎党の当主と嫡子だけで鎧蔵で粛々と頂くそうで。

@m_1sugi 豆のミネストローネと思えばアリだよね。

@awajiya アリだと思います。江川家のこうした行事にも、いずれは研究者が同席できるようになり、全体がわかるようになるのでしょう。嬉しいようなつまんないような話ですが。

@m_1sugi 折しもこんな記事があった。[江戸時代の婚礼料理、お味は? 古文書基に再現 伊豆の国・江川邸|静岡新聞 at-s.com/news/article/shizuoka "英龍の叔父・陽三郎/の婚礼献立/市内で懐石料理の仕出しなどを手がける「耕心庵 次五ゑむ(じごえむ)」の柴山崇志主宰が調理" ]

@awajiya
こんなことが出来るということは,あの膨大な史料の調査が進んでいるということで、ちみっとだけですが調査バイトした経験者としては嬉しい限りです。

記事中に「色味より食材が持つ意味などで華やかさを表現していたと思う」とありますがそれはそうでしょうね。画像で見る限り、当時としては破格の豪華さですし、味だって現在とは違っていて当然ですが、吟味された物でしたでしょう。

最近、静岡県主導で「ガストロノミーツーリズム」なんて事を始めたようですが、それとは関係ないようでなにより。

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