最近、あちこちに湿布を貼って。ミントの香りのねこさんである。
なんと腰痛まで出てきた!
え?
これ以上貼るの?
...ちと考える(^^;
お疲れ様です(^^
今日の音
出だしの音の方向でゆければ嬉しいのですが。まだまだうにー(^^;
うぬ。
ローマは1日にしてならず。
(それにしても とろいねこ💦
宜しくお願い致します。
音節:春(春灯回廊)
写真:Edyta StawiarskaによるPixabayからの画像
締めの一文
だからこそ、私の周囲のメディア関係者は「リベ大」のことを知っている人は少数派で、下手したら名前すら知らないという人もいました。この連載が公開されてからのSNS上の反響をみても同様でした。120万部売れている書籍、200万人いるYouTube登録者を抱えるコンテンツだというのに。それは「SNS上の言論空間」ばかりを見ていたからではないでしょうか。そうしている間に、「リベラルアーツ大学」は社会現象と呼べる規模にまで拡大していった。「炎上」していないのであれば、問題がないのであれば、とりあげなくていいのでしょうか?
私はそうは思いません。理由は次回に持ち越しますけれど、これは「失われた30年」の受け皿と呼べるものです。学問、政治、保守、リベラル、社会運動、思想、教養、文学……呼び方はなんでもいいけれど、「既存の何か」が受け止めることができなかった、支えることができなかった人たちの居場所。本当に、「よくできている」受け皿なんですよ。
面白かったです(^^
特にラストの文。
一応、ネタバレ(?)を防ぐために分けますね。
大学全入時代の〈自称大学〉
https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/column/fujitani_youtube/23906
Shotaro Tsuda
>なぜローカル・ジャーナリズムが重要かと言えば、それがないと地方で何が起きているのか、そこに住む人たちがどう思っているのかが発信されないし、逆に政治家が何を発信しても、まともな形でそれが地方にまで届かなくなるからだ。
そういう相互のフィードバックが働かないと、どうしても扇動的な方法が効果を発揮するようになってしまう。主流メディアを含む都市部への不信感を土壌として、敵を名指しし、被害者感情を煽り、「あいつら」が全部悪いのだとする善悪二元論が説得力を持ちやすくなる。
ところが、米国ではローカル・ジャーナリズムは後退する一方。日本もかなり危機的状況なので、米国の轍を踏まないようにしたい。
https://bsky.app/profile/brighthelmer.bsky.social/post/3lad2jba7yl22
Shotaro Tsuda
>それに対し、本書では米国内で少数派に転落しつつある白人層とその代弁者たる共和党がいかにして少数派の意志を多数派に押し付けようとしてきたのかが論じられる。
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レビツキー/ジブラット『少数派の横暴』(新潮社)を読み終えた。民主主義の弊害と言えば「多数派の専制」とされ、多数決原理のもとで多数派が少数派を抑圧する現象が問題視されることが多い。
それに対し、本書では米国内で少数派に転落しつつある白人層とその代弁者たる共和党がいかにして少数派の意志を多数派に押し付けようとしてきたのかが論じられる。
人種隔離政策を支持する民主党に対して、人種間の平等を推進していた共和党がどのように変質し、今日のような姿になったのか、米国の政治制度を悪用することでいかに自分たちに有利な選挙結果をもたらそうとしているのかが豊富なエピソードを交えて語られている。
日本のネットだとトランプ現象への関心が強いために「凋落する白人貧困層の悲哀」ばかりが語られ、米国に残存するさまざまな不平等がむしろ不可視化されている印象なのだが、この本を紐解けばまたそれとは違う見方ができるのではないだろうか。
https://bsky.app/profile/brighthelmer.bsky.social/post/3l7v66jqenl22
辛気臭いお話です(閲覧注意!
ねこ、思うんですけれど。
>能力主義に対する本格的な批判
ふーん。
ねこ、思うんですけれど。
のーりょくって、別に、「学力・知識(?)・実行力(?)」だけではないよね?
料理だって、掃除だって、運動能力だって、力仕事が好きだって、喧嘩に強いだって、ストリートファイトが強いだって
そりゃ、「能力」だよね?
ちゃうのかな。
自分に羨ましいこと「だけ」が批判される「能力」ではないと思うの。
つまりさ、じゃあ後釜はなにかと言われると
そりゃ、人間性とか度量とか。
そりゃ良いよね。
大事だよね。
だけれど。
ゆーておくが。
「自分にない・羨ましい能力だけを能力として考えて本格的に批判。やっほー🎵」する人間が、その後釜をメインに見られたら...
もっとなにな世界...?(^^;
うにー?(^^;
賢い人が、逆張りで主張されるのは、それは良いけれど?...かな?
生きていればOK?
勿論、そうとも言える。
ですけれどね。
「自分にとって、とても都合が良い」
その裏側は必ずある。時間差はあるかもしれないが、それは必ず己へと来るものだと思うねこ。
まあ。その時に、己が受け止めれる位までの強さ(程度)にしておくべきかとは思うねこ。
ものごとは、程度問題です。何事もね。
そりゃもう、色々な信条がありますよね。
でも、猫は、古臭いと言われようと鼻先で笑われようと
>「知性と道義性には政治的価値がある」
という立場が良いです。
まあ、個人的な好き嫌いですから、「猫は」ですけれど。
ついでに、人間的にも大事なことだとは思います。
うん。
色々これが先端の知見とか言われても、そうかね。
古かろうが大事なことは大事だと思う猫。
その先端の知見が何十年か生き延びてから、ゆーてね?(^^;
(おい(^^;
内田樹
>朝一仕事は信濃毎日新聞に「アメリカ民主政の落日」800字。「知性と道義性には政治的価値がある」という信念を捨てた民主政は生き延びることができるでしょうか。生き延びたとしても、それはもうトクヴィルが「アメリカの民主政」と呼んだものとは別の何かでしょう。
https://x.com/levinassien/status/1854328447046386106?ref_src=twsrc^google|twcamp^serp|twgr^tweet
ねこは、文章でほぼ型を意識したことはなくて。
なんなら、文章は自立して自律してゆくから、その文自体の想いだけ嗅ぎ取ろうと努めれば良い。
くらいは思っているのだけれど。
作曲まがいを始めて。
それって、そりゃもう長年やっていたから、無意識でできることだったのかあ...と思っている。
短い音節なら、できる。そうできるんだけれど、やっぱりど素人には負荷がそれなりにあって(^^;
テーマとして、なん小節かを決めて、それを...と言われると。ホッとする。
うぬ(^^;
とりあえず、型がある...ということは、特に猫のような素人には、ありがたいな。
いつかは、その音の匂いだけを追って作って行きたいけれど。
さて。
お片付けを始めよう!(^^
趣味で三味線(細棹)と字書きをやっています。
三味線は2020年7月からの初心者です。
現在稼働しているのは、細棹(紅木・桑胴)と中棹(縞花林・花林胴)、各一棹。
糸は丸三の絹。
皮を含むメンテナンスは金沢の福嶋三絃店。
文章は、昔から。
どちらも、少しブログに上げております。
宜しくお願い致します。