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めちゃどうでもいいんだけど、キムタクはニルヴァーナ知らんだろとかいうのに対して、いやガンズ好きらしいとかいうのがあって、さらにいやいやカートとアクセルは相容れないみたいなのがあって、なんかみんなそんな感じで音楽聴いて楽しかったのかなという。どうでもいいけどは繰り返し言いたいが。

巨大な蜂が首筋に止まって冷や汗みたいな夢をよく見る。蜂的な生き物に対する恐れが度をこしてるんだろうな。

自分とは全然関係ないやべーやつがやべーことやった驚愕の事実みたいなことで消費してるだけなんよ。でもそのやべーやつを理解するためには何かの特徴を探さないとならなくて、それで取り出した部分を自分とは切り離して排除することでみんなで一安心。そんなことを延々やってる。

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みんなどんだけ“人権”に興味ないのかというのがどんどん浮き彫りになる思いで毎日過ごしてます。結局なにかしらゴシップ的な側面や“〇〇の闇”などの見出しに見られるようなイメージにひかれているだけなんだな。マスゴミがーとか言いながらそういうマスメディアが作り出す型には無批判にのっていくのもおかしな態度だわ。

グレートあさり さんがブースト

語の関係性として不適切な部分があったので編集し直しました。

「オートガイネフィリア」それ自体がトランス女性差別のために作られたジャーゴン(結局、フェミニンな装いをした自身に対する “性癖” を持つ “男性” としてミスジェンダリングしつつ差別的に扱っている)ではありますが、

オートガイネフィリアという差別的概念を構成する「フェミニンな装いをした自身に対する」という部分に関しては、フェミニンな装いをしうる・そのような自身を想像しうる者なら性別に関係なく持ちうる指向ないし嗜好ですし、

「トランス女性がそのようなセクシャリティを持っていると見なされるべきではない」と読み取られかねない書き方だったので、修正しました。

トランス女性というアイデンティティを “男性の持つ性癖のひとつ” というように曲解されるのは紛れもない差別、ということを言いたかったのですが、言葉足らずでした。申し訳ありません。

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グレートあさり さんがブースト

「 “英語圏” ではペドフィリア(小児性愛者)はチャイルド・マレスター(小児性暴力加害者)と同義で使われている」とかいうご忠告、何様のつもり?

 “英語圏” の差別主義者たちの撒いている印象操作とデマをベースにして実存を議論することに、わたしはなんの意味も見出だせない。

差別によって奪われた言葉は、当事者たちにリクレイムされていくべきものだし、ウチら「クィア」は今までもずっとそうしてきたでしょ。

それともなんですか?

もしも “英語圏” におけるトランス差別の文脈で、

トランスフェムという実存が“オートガイネフィリア”だとか“女装性犯罪者”だとかと同一視されていたのなら、

あなた方はその場合も同じように “英語圏” を基準にウチらが各々自分を表す言葉をそうやって奪い取って、「わきまえ」させてくるんですか?

J.K.Rの数々の差別発言やBLMの発端となったアメリカでのヘイトクライムやその反動のALMを知っておいてもなお、21世紀の“英語圏”の人々が差別をせず正しく用語を運用できている、という前提に立てる発想はさすがに意味不明すぎます。

そういえばTwitter離れ気味になってからこちらなぜか菅野完のツイートを見させられる頻度が上がるなにこのストレス。

オーバーツーリズムの話って往々にしてゼノフォビアを含むものだけど、例えば観光の点での沖縄で起きている問題などこんな言葉が日本で広く使われるはるかに前から指摘されていて、それはお客様としての“もてなし”を期待する或いは強要する“本土”の日本人との権力関係とか、その権力によって支配ー被支配の立場が経済とか文化とか様々な場面において顕在化されるまさに植民地主義の問題なんである。
ということが知念ウシ『シランフーナーの暴力 知念ウシ政治発言集』でも指摘、批判されているので読まれたい。

グレートあさり さんがブースト

「右翼」の思う壺じゃない
「運動」の邪魔なんじゃない
「あなた」が気に食わないだけのことを全体主義的なレトリックで棄却したいだけだろう。とんだマジョリティ仕草だ。

“右翼の思う壺”というより、あなたがまずそう思ってるんでしょ?っていうのはある。だってその右翼って社会の偏見を利用して差別してるわけで、その偏見や差別はおかしいよって声に対してひとまずそれは置いておくべきだとしているのはあなたなわけでね。右翼どうのこうのじゃなしに“偏見や差別は仕方ない”って自分が思ってるって言えばいい。

国連のやつは全部視聴したからわかるんだけど、ほんとに集まった連中誰ひとりとしてまともな質問しなかったからね。技能実習生のこともアイヌや琉球のことも福島の原発の労働実態とかもひとつも。これ以外にも指摘される問題はたくさんあったのにマジでひとつもだから。

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昨日の会見のことでタレントが出てくるから一応来たみたいな芸能記者の質問がーという内容の批判をしているのをラジオで聞いてなるほどと思ったけど、それはそうと国連の会見のときなんてその比じゃあなかったですよあなたって思ったね。しかもその会見のことすらみんなすっかりでしょあなたとも。

てかもうTwitterで本音とか言えねーってなってるわ。どうでもいいってのもあるし。めっちゃ良い本とか読んでもお前らなんかに教えてやるもんかって思ってるわ。

どう考えても必死で排除しようとしてるその姿こそ右翼の言説に乗っかったものでしかないんよなと。

グレートあさり さんがブースト

そもそもこれは「反差別の実践をしていても生じてしまう、気づかれにくい差別」についての、身内どうしでの自己点検的な議論であり、そもそも意図的に差別や加害をしたがっている者=極右などは眼中にないし、入れるべきでもない。反差別の目的を「差別主義者=極右などを倒すこと」だと捉えているからこうなる。

だからお前が今それやってんだっつーの!ってジャイアンにでも代わりに言ってほしいわ。

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Twitterで含まないだの排除だのやってた人が、ヘイターの”それでは理解されない”というトンポリ的な口封じを批判してて泣く。

でもこういうのは排除排除やってる人たちは絶対読まないからなあ。という偏見はある。いやでも、死刑制度のことと関連付けて考えてもそうだけど、死刑賛成の人ほど死刑制度自体なんにも知ろうともしないみたいなのがあるからね。

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香月真理子『欲望のゆくえ 子どもを性の対象とする人たち』を紹介するブログを読んでいて、個人や個人のあり方を悪魔化するようなことでは何ひとつ解決しないんだって本から学んだ中身を思い出している。
例えばメディアによってデマを書かれてしまったある性加害者となった人の話では、ある人に惹かれるというのはつまり性的な感覚を含むことが前提とされているものだったり、きっとこんな得体の知れないやつなのだという人物像を作り上げられたものだったりする。
でもそれらはわたしらが持つ偏見やそれに基づく恐れや排除しようとする気持ちよって成り立っているものだとも言えるわたしらの問題でもあって、それは『排除の現象学』にも書かれているような、特定の個人やその人に紐づけられる特徴(ここにも権力が作用しているが)にだけ注目し排除することは“犯罪”そのものから目を背ける行為にしかならないと理解しなければらない。構造を問題としない間違いの原点のようなものがこの偏見や排除にあると思う。

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