今日ラジオで能條桃子さんが言っていたイスラエルに対する日本の役割とかいうのが結局何が言いたいのかわからんかった。
先に宗教ではなく植民地主義の問題だと断っておきながら、しかしG7はわりとキリスト教だから反イスラム教的だが日本はそうではないみたいな、その理論自体もおかしいんだけど結局宗教の話にしてるじゃんていうのと、違うけど仮の仮にそうだとしてもその“キリスト教の国”とかの方と圧倒的に強固に結びついてきているのは言うまでもないことじゃんていうね。
加えて言うなら日本も植民地の人々に天皇崇拝強制して神社作らせたりした側なのにね。それ考えても宗教云々じゃなしに、そこに生きる人たちのアイデンティティなどを破壊して支配しようとする権力というもののクソぶりの話だし、日本の役割とか言うならその前に日本は批判される立場よ。
昨日流れてきたB Tにあった「でも、(国は私達の訴えを)聞かないじゃん」って態度は国だけじゃないですよ。
沖縄を消費するな!その映画のタイトルやめろ!それは文化盗用だ!そんなウチナーンチュの声を聞く移住者はほとんどいない。
国と自分を切り離した政府への無責任な批判は、「あなたはどうですか」の問いとなり自分に返ってくる。
ハワイでは先住民に対し植民者発言があると、周りの移住者が先住民を守るカウンターをすると聞いた。
そこでは植民者として暮らすか?それともこの土地と先住民に敬意を払い生きていくか?を常に問われている。
一方沖縄では声をあげるウチナーンチュが非難され、移住者同士で庇い合い、同化著しいウチナーンチュも日本人移住者と一緒になって同胞を叩く構図がよく見られる。
果たしてウチナーンチュの声を聞かないのは国だけなのか。
植民者として生きますか?
琉球/沖縄アライとして共に暮らしますか?
日本人としてどう生きるかが常に問われている。
人権だのなんだの言ってるけど、それ自体の是非は別としてジャニーズとの契約解除や見送りやそんなのって自分たちへの非難を避ける目的であからさまに様子見な仕方でなされていて、全然権利なり尊厳なりに重きを置く論理が元にある発想や行動ではないよね。いや最初からずっと資本の論理があるだけだよ。
たぶん今史上稀にみるレベルで選対委員長が誰なのかみんな知ってるという現象が起きてるよね。
(同性愛と婚姻の平等に関して)
何度でも言うが憲法にしろ神道古典にしろ、書いていないものは書いていないのであり、判断基準がゼロであるものに対して『他者が現在不便や苦痛を感じていることを無視し』、「ダメな可能性もあるから」と、『ダメでない可能性も同等にあることも無視して』判断することは恣意的であり差別的なんですよ
「可能性があるから」「これまでそうだったから」が今後も他者の人権を制限するに十分な理由かどうかをよく考えて頂きたいし、そこに拘りたくなることの背景にある己と社会の差別意識について考えて欲しい。
古典に倣えば窃盗も職務怠慢も死罪だったはずでしょう。何故婚姻の平等だけ取り沙汰すのか。
もしダメと書いていてさえ、「今後も他者の権利を制限するに合理的な理由」かどうか十分な検証が必要なのに、書いてさえいないことをこれまで制限してきたのだ、ということについてよく考えて欲しいですね
(怒りのあまりTwitterと同内容投稿)
あさり/ザ・グレーテスト