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マジか…ほんと怖いよ今の状態。前々からわかっていたことじゃないかと言われればそうなんだけどあんまりだわ。

コロナは陰性だった。けど著しく体力が落ちている。

『アリとダンテ、宇宙の秘密を発見する 』ベンジャミン アリーレ・サエンス(著)川副 智子(訳)
続編が既にあるようなので翻訳を求む!
映画化も進んでいるとのことでそれもまた楽しみではある。

まあわたしそんなに深く関わったりとかしないというか得意ではないんだけど、それでもそれなりに友達だと思ってた人々の元から次から次へと😢こうなる言葉が連発されるダメージったらなかった。いやいまも継続中。

勝手なあれだけど、Ringoさんとはそんなに特別やりとりするわけでもないのにすっげー友達だと思っているわたし。凍結されたのしんどいけどその言ってる内容はとても嬉しかった。

反死刑制度のこと考えていて思ったけど、“被害者をないがしろにするのか”っていう罵倒のような言説がいつも出てくる状況と今なされていることがすごく似ている。
それは被害者のケアとかそんなことが起こらないようなシステムについての考えをどれだけ並べようがその罵倒ひとつで片付けられてしまうもの。何はともあれあいつらはそういうことを言うやつらなんだってレッテルは相当に強力なのよね。すごく卑怯だけど。

グレートあさり さんがブースト

なぜ特定の属性になった途端に、加害にその集合をまるっと入れようとするんだ。わからない。

誰かの、大きなものの都合で線が引かれて作られた社会がある。その社会は共生を謳いながら、中に入れた者の多くは、線の外側に追いやった者たちに見向きもしない。

その癖、交わろうとすると、まるで「侵略者」がやってきたと言わんばかりに、石や矢を投げつける。属性だけで線を設け、侵略者を仕立てているのはそちら側だというのに。

勝手に被せてきた透明マントを投げ捨てて、線をぐちゃぐちゃに消してやりたい。

「よくわからない」なんて知ったことか。いる。わたしは、すでに、ここにいる。存在それすらも否定されること、拒絶されることが一番しんどい。

“それぞれの物語”みたいの全部嘘だったかあまりに空虚すぎる。それでもわたしは“それぞれの物語”が必要だし聴きたいからその姿勢は崩すつもりはない。

仲岡しゅんさんそろそろ黙ってほしい。

いまだに“移設”とか書いてるメディアの記事は一切読む必要がない。辺野古に新基地を作っても普天間基地がなくなる保証はない。ていうかそもそも作るなだし作れないし。

これはあれです、ペドフィリアめーとか言ってる人のプロフィール見たら死刑反対とか書いてたから思ったんです。

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死刑の数ある問題の中でも排除という思想については、例えば死刑廃止を訴える中においてもそこまで重点置かれないというかキツく言えばそこは捨てきれないがという意識が見え隠れして、それは終身刑にあたるものを先に導入してから段階的に廃止するという理論があることにも表れていると思うし、そういう排除の思想とか態度とかを温存したままやってきたことが、いままで排除するなっていってた人たちの大勢が排除しまくってる現状と繋がってくる気がしてならん。

映画の原作とされる
辻野弥生『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』
は、著者がそもそも部落史とか運動史などの専門家ではないから、事件そのものについてはよく理解できるけど部落問題全体の理解にはちょっと足りない点が多いのは注意です。
特に水平社が戦後解放同盟になった的な説明があったと思うけどそこは飛躍しすぎだし、そんなの共産党さんからお叱りを受けるんでないの?とか思いまして。全解連こそがいわば正統的部落解放運動団体である!みたいな。解放同盟を“正常化”するための委員会だから、われわれが解放同盟であるもあり得るか。うるせーって感じだけど。

これはあれか、例えばミソジニー批判とかしてたらトランスヘイターにリツイートされる現象のやつか。まあわたしもうっかりやるときあるからそれはわかるとしても、その後につなげたツイート読んだら何言ってんのかわかるはずなんだけどな。むしろそっちを読んでほしいくらいなのに。

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てかTwitterで排除すなっていうわたしのツイートにいいねしてリツイートした人の中に排除言説バリバリの人がいるのはなに。

例の橋下徹と東国原がめちゃくちゃなこと言ってる番組って、要はやしきたかじんが昔やってたあれをやってるんよね?よいしょ要因としてのトミーズ雅のおったとこにも同じく吉本タレントだし。って思ってたらそもそもやしきたかじんの力で橋下はメディアデビュー果たしたんだしそういうことなんだな。

ニーメラーのナチが共産主義者をーってやつ度々引用されるけど、ほんとなんの役にもたってないこのありさまね。なんならそれを右翼などにさっきまで叩きつけてた連中が我先にと迫害し始めてるわけだからこんなもの現実は喜劇にはなり得ないんだね。

少し古めの本だけど浅野健一『犯罪報道の犯罪』とか読むと、マスメディアが警察の広報と化している実態とか、権力によって歪められた人物像をメディアがそのまま拡散したりあるいは通信社からの記事を改ざんしてまで新聞社が偏見や差別にまみれた言説を拡めたり、またそれらをわたしらが無批判にうのみにする形で信じ込まされて、その偏見を基盤にまた偏見をどれほど生み出しているのかがよくわかる。そしてそこには”そのような記事を書かないと出世しない”という話も出てくるように、資本主義による歪みが生み出す差別の問題も当然ある。
さらに、例えば裁判が進んで被告人の訴えが明らかになったきたときには記事も小さくなり、わたしらもそんな事件など既に忘れて平気でいる。“犯罪”や“犯人”と聞いて連想するものって、そのような権力による操作やわたしたちの勝手気ままな態度によって作り出された偏見が大いに影響しているんだよね。

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