改めて呉樹さんのこのツイートを反芻してしまう
RT https://twitter.com/gjoshpink/status/1660600697430347776?s=46&t=X4mUwwhMdrVSCMvgG2Oayw
>「トランスはすでにあなたの隣にいる」とは排除者に繰り返し投げかけられる言葉で、それはまったく正しいのだけど、人口比からして実際のところは「排除者はすでにわれわれ当事者の隣にいる」のほうがずっと現実に近い。この重みがわかりますか
WANに掲載された声明への感情はまずはっきりと怒り、苛立ち………
web灯台よりコンテンツ、更新しました。
今回は番外編で、映画『怪物』へのレビューです。「普遍的な」物語として受け取ることができてしまう私たちが「いい映画だね」で終わらせてはならない。ぜひ一読ください。
@NagareKoori@nattois.life すでに観た人たちの感想から観ないでおこうと思っているのですが、クィア表象の精査について疑問があると賞全体への不信感につながってしまいますね……
何とは言いませんが、「LGBTの映画じゃない」ならクィア・パルム蹴ればよかったんじゃないですかね……
この問題はたとえば「両性具有者」としてエルキュリーヌ・バルバンをユートピア化したフーコーはもちろん、それについて批判的に言及しつつ論を展開していったバトラーにもわずかながらあると思うのですが、ある特定のセクシュアリティやジェンダーアイデンティティが「革命的」に見えたとして、その人たちはそれが「革命的」であるからそれを選択しているのではないということがジェンダー・セクシュアリティをめぐる議論では蔑ろにされているように見えます。
研究者はその人たちの実存を手がかりにして新たな理論を導出するのではなく、その人たちの実存を排除・疎外しない形の理論の構成を模索することを考えるべきだとわたしは思いますね……。
バトラー、文芸 │ nonbinary(they/them)・asexual│ 文芸同人誌「花と青」 https://researchmap.jp/aomoto-yuzuki