ワイの心をとらえて離さない2種のいきものの夢の競演だが、夢もへったくれもない推論が展開されていた
→【動画】ヒグマがオオカミの群れに合流、どういうこと? https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/24/030400126/
社会の不平等って、当たり前になっていて気づきにくいんだよね。そしてそれが当たり前だと思っているから、指摘されてもなかなか認められない。例えば、視覚的な多くの情報で、目の見える人は優遇されているけど、それを優遇と気付かない。 [参照]
#ワイルドライフ 北海とバルト海編
ゴットランド島には海で狩りをする陸のヘビ、ヨーロッパヤマカガシの仲間がいる。
かなり気持ち悪い。
獲物はハゼ。
捕まえたらくわえて頭を水面から出して泳いで戻る。陸で生きたまま飲み込む。
夢日記:吉祥寺と英国
#夢
大昔の彼氏と思い出の街吉祥寺を巡る。私も彼も若いままだが街は変わった。なんだか発展しすぎな部分と衰退した部分に分かれすぎ。懐かしい店は廃墟に。だが廃ビルを美大生がギャラリーにしていたりする。
ちょっと目を離した隙に、彼がなぜか床屋で坊主頭にしてきた。地下への螺旋階段を降る。彼の元カノがいる。水路があり、船が来る。3人で乗る。
(目を覚まし、吉祥寺の地下水路❗️とエキサイトして、続きを見るために二度寝)
ワイは独りになり、英国の植物園にいる。とても美しい。でも船はどこ?
普通の運河に、梯子を登って乗るノッポな船がある。
出航。
船内へは螺旋階段で降る。
なんてこったい。中は豪華客船。しかも全体は巨大な円形船だ。各部屋がレストランや店舗になっている。観光コースらしく、世界中からの客がいる。
見物して回る。青の部屋、ゴシックの部屋、彫刻の部屋…どれも美しい。宿泊個室に迷いこみ、子どもにスルーアウト?と聞いたらNot get throughと言われる。土産物屋はいまいち。
一周して元の場所へ戻る。変な制服を着た日本人グループがいる。話してみると「ツアーでね」と苦笑する。制服がいるんか…。気づけばワイもその服着てる。なんで!?
「思想が強い」とかいうイヤな言葉ね。1980年代から萌芽があったのですよ。
ワイがガキの頃、テレビのせいで「ネアカ/ネクラ」が流行語になった。
ものを考える人・悩む人は、「根暗」とからかわれた。ワイもだ😠
上京して学生になったとき、友だちがワイの本棚に『現代思想入門』(宝島社かな?)を見つけた。ドゥルーズやデリダなんかの紹介本。
友だちは「危ないw」とぬかした。
危ないとは当時の流行語。怪しげ・怖そう・精神的にやばそう的な意味だ。
思わず「なんで⁉️」と聞いたら、友だちは答えなかった。
「思想」という単語自体が蔑まれていた😨
60年代の、若者が考え行動した時代から、70年代のシラケ時代を経て、若者の思考力は荒廃していった。大人世代が荒廃のお膳立て(?)をしたことは言うまでもない。
ネクラと笑われることに怯えていた子どもたちは、考えることを恐れる子どもたちを量産する大人になった。
→「思想が強い」ってどういうこと?
竹田ダニエル
https://comemo.nikkei.com/n/n24ba9ca18391?sub_rt=share_pw
名古屋の米国人宣教師さんが提供する妊婦さんシェルター。
宣教師さんは産まない選択を重んじてくれるのか?って疑問はさておき、
まじ日本社会がDVや養育費不払い男に厳しくしないの不思議だよね。
いや「日本社会」なるシステムを仕切るのは圧倒的に男性だから不思議じゃないか。
いやいや、クズな行いに甘いのはやっぱ不思議だよー
→変わろう、変えよう:私たちを頼って 市が紹介した予期せぬ妊娠支える「一軒家」 | 毎日新聞
めちゃ簡単なリスト
「明治・大正の女性運動家たち」
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/yokohama/uploads/2020/12/web_exhib201302_chapter4.pdf
ところでドメインを見ると「神奈川県立の図書館」というサイトだ。(県立図書館&県立川崎図書館) https://www.klnet.pref.kanagawa.jp
ここでは上記PDFを探し出せない。どこにあんのさ?
つまり図書館サイトから入った人はたどり着けないんだ。公的機関あるあるだ。
めちゃ簡単なリストとはいえ、入門資料になる。もったいなす
日本ヤバい。環境正義のクラスが必要です。⇒《若年層は賛成、高齢層は反対が多くなる傾向もみられ、18~29歳では賛成が7割近く、70歳以上は反対が約6割に上った。》
原発再稼働、「反対」45% 賛否が逆転 毎日新聞世論調査 https://mainichi.jp/articles/20240317/k00/00m/010/150000c #環境正義
車いすのままバスに乗せろ!と白い目で見られながらも戦った人たちがいるからバリアフリーが進み始めたことを忘れちゃいけないよね。戦わなくても差別されないに越したことはないけど、現実は差別された側がやかましく声をあげて戦わない限り、差別する側はかわらない。変わる理由がないもんね。
「インネパ」って呼ぶんだ!?
インド人経営者がネパール人労働者を呼びよせて低賃金で働かせてるという話は十数年前に聞いた。いまは日本中にあるのか…へえ…😨
→カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」 – 集英社新書
父が車椅子を利用するようになったのは前世紀の話だけど、そこから介護が終わるまでの間。そして、親しくさせていただく先輩方が移動が不自由になり、車椅子を利用するようになるのを目の当たりにして。
「自分の身になったら」で考えるのは悪手だけど、ほぼ確実に私にも移動が不自由になり、車椅子を使うようになる日が来る。それは明日かもしれないが、五年、十年先を見ればもはや蓋然性の問題であるわけで。
その延長上で、成田某の集団自決と、「車椅子利用者は分をわきまえろ」が結びつく。困難な未来を見ないためには、例えそれが自分の退場を意味しても未来を葬り切り離すのが一番お手軽だから。
冗談じゃない。そう都合よく私たちは人生から退場したり引きこもったりするものじゃない。どれだけ困難であろうと、私は自分の生と自由にしがみつく。
なんの物価が1番上がったのかな〜?ってワクワクしながら見てた気持ちを返してほしい。なんだよ215円って。
https://twitter.com/kabunaomi/status/1768357235141575134?s=46&t=_n-7mlIzSZzqhyvDXpHLpQ
車椅子の件(うちの母の話)
母は亡くなる前もうずっと車椅子だったんだけどさ。入退院くりかえしてたんだが退院したある日「何か食べたいものとか無い?」と聞いたらグラタンが食べたいという。父と一緒だとそういうのはまず食べないからね。
んでバリアフリーまたは車椅子でもいけそうな店ってないかなーと調べたんだけどちょっと難しいそうだし母も誰かの面倒になるの嫌だからという。結局どこにでもあるファミレスならということで連れて行った。まあ表向き喜んでくれたので良かったけど、ちゃんとした店に連れて行ってあげたかったなとも思う。
車椅子の人でも人並みに楽しみに触れられるのが当たり前だと思うし、少しでもそういうときの障壁が少ない社会になってほしいと思うよ。ペケッターの「ずうずうしく要求するな」みたいなのをみると心が痛い。