Sebastiaan de Withさんって人が日本の付喪神に言及したのは面白いな。
ワイは信じてない…と思う…けど、子どもの頃から捨てられるモノに感情移入しがちだった。
近年、某所で昔の機織り機が大量に破棄されそうになっていたとき、悲鳴が聞こえた。(←本当)
腐りかけた臼と杵を見たときは、すごくかわいそうに感じた。
また亡き祖父がモノを大事にしていたコトを思い出したり。
庭に古い古い甕があったな…あれらのモノはどこへいったのだろう…?
そして日本語におけるモノとコトの用法を思い出したり。
AppleのCMへの抗議は英語が大半だった。けど日本ぽい名前のアカウントも割といた。日本の人には特にしんどいのかもね。
いや日本だけじゃないなたぶん。東アジア〜東南アジア一帯に、モノ≒コトへの敬意があったりしないかな?
山岳民族の銅鑼とか思い出してるよ。