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五作目、女としては「片輪」だと罵られて、だけどそんなことは無いと最後にはまた話されるのだけど、任侠の世界に入ってしまったからにはそこから抜け出すことは出来ない、仮に抜け出せたとしても変わらないのだ、まで描いてた。シリーズ通して語られる内容と言われるとそうなのだけど。仁義の掟で斬り殺した子供の親代りをした三次が、「自分が親だと信じてもらうより子供を「親無し」にしてしまった男だとわかってもらったほうがいい」て気持ち、しっかりしているというか矜持みたいなのを感じて好きだった。熊虎親分の弟分のお竜さんためならの行動の早さに思わず笑った。小城さん(丹波氏)の白スーツがまたびっくりしたし、立ち位置の絶妙な所がまたそれらしいなと思った。お香代ちゃんを可愛がる場面普通ににこにこしてしまったこういう場面に弱くて…

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四作目、一つの大きな仕事を組同士の取り扱いとそのために仕事を失う人達の話もあって話が盛り沢山だ。長門裕之さんが出てきてお茶目な役で驚いてたもっと活躍見たかったな。
五作目今見てるけど不死身の藤松さんの中の人が違う組の頭なってて混乱した。役者さんが違う役するのはこのシリーズの常とやっと分かってきたところだったけどびっくりした

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三作目の花札勝負、映し方に奥行きがある場面や横から人物達が綺麗な構図で並ぶ場面が増えて見てて楽しかった。任侠に関わる人達は善人も悪人も様々いるけれど皆穏やかな結末にはならなくて、(救われる人も少なからずいるけれどほんの一握りで)そういう場所なんだろうな。見てる自分はついよい人達は出来る限りの幸せを願ってしまうけども…。熊虎親分はいつもかわいいな。お竜さんを見つけた時のぱああっ明るい笑顔に胸掴まれる。二作目までコメディタッチが強めだったけと三作目は落ち着いた印象。繋いだ手を洗えずに包帯巻いてるの純情が過ぎる。

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「~一宿一飯」の 

周太郎さんを見つめるお竜さんの眼には片桐さんが映ってたのだろうなあ、が伝わる初対面だったな…

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二作目の一宿一飯、「肌に墨は打てても、心には誰も墨を打つことは出来ない」の場面にぐっときてた。まちさんやおれんさんや安さんや、この世界で言うところの普通でないとか劣る存在のように周りは決め付けるし自分もそうだと感じてしまうけれど決してそうではないとこの場面で伝えてたと感じたので、つらいけど好きだった。だから尚更この後にまちさん達に少しばかりの平穏を望んでいたからあんなあっさり…うわーん…。一作目と話の大きな流れは同じで悪役はこれでもかという程に悪い

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三作目が気になって見始めたけど二作目も面白くてわ~ってなりながら観てる。

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『フュリオサ』も復讐の物語だったのと、だからどうしたってMMFRとは違うお話なのはそうだよなと今更に思った。自分が見る前の心構えが違ってたんだな。あと『フュリオサ』で私が引っかかってしまった(物語としておかしいとかではない)人物と似た立場の人が出てきて主人公との関係を見比べたりしていた

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緋牡丹博徒、復讐の物語としてしっかりした作りのお話でよかった。「義理と人情」がこの世界の掟と言いながら上辺だけ取り繕うも普通にある世界で生きていく人達だ。

「フュリオサ」の登場人物 

のジャックについて、マックスに雰囲気が似てると最初の印象は変わらなくてそこはまだもやついてるのだが、ただ「相手自身から見返りを求めずに協力する成人男性」を観てる自分がそんなのあり得なくないか?と何の疑問も無しに思ってしまったんだなと色んな人達の感想読みながら考えてた。それってやっぱり偏見で、多分成人女性ならそう感じなかったろうな。自分の世界の見方の偏りを実感して落ち込む。がんばろう…

自分の考えの柔軟性のなさにううとなる昼 頑ななんだな

「フュリオサ」観てきた 

これ以上ない位の復讐だったのかなとも今は思う。
やった側は何も覚えていない、やられた側はずっとずっと苦しむのに、をずっと貫いていたのはMMFRと繋がる部分だと思った。
バイクや車が砂漠を駆ける姿やエンジン音、そして人物や世界観の作り込みが前作同様に細かくて風景やアクション場面は本当にすごかったなー…前作でもこんな事できるのか!てなってたのに更に色んな場面を見せてくれてすごかった。
観ながら自分はMMFRのどこが好きだったのかな…と考えたし前作が観たくなった。

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無理してレイトで見てきたせいで途中で文章が途切れてた

「フュリオサ」観てきた 

自分が覚えてた(記憶があやふやでもしかして想像だったのか…?)フュリオサの過去と今回の映画とで微妙に違うので混乱したのが本音かもしれない。「私を覚えてる?」の意味が自分の想像するものと違ってたことが言い方が悪いけど意味が薄まった気がして…。ジョーが母親を殺した敵であり片腕を切り取った奴だと思ってたら全然違う人だったのか。行きて帰りし道程で自身の復讐を遂げるMMFRの感じが好きだった。フュリオサの本編自体は復讐譚として成立してたのかなと思うけど、その「思ってたんと違う」を最後まで自分は払拭できなかった…。

ヴァルキリーが友達?幼馴染?だったのは嬉しかったな。再会の時の意味合いがこちらは深まったと感じる。マックス(だよね?!)のほんの少しのニアミスにあらーとなったりした。若干蛇足な気もしたけど…

彼女の最初の理解者がマックスと少し雰囲気が似てるのが、似てなくてもよかったのになーみたいな失礼なことを感じてた。協力者であろうと死んでしまう無常さはそうかー…となった。

ディメンタスへの復讐、最初は正直気持ち悪くて、そいつの養分の入ったものワイヴス達に食べされるのかと思ってたのだけど、死すら生温くて、資源が枯渇している世界で、そして何より自分を結局は物として扱う相手への返しとしては

「フュリオサ」観るのもう少し先でいいかなと思ってたけど、他の人達の感想というか雰囲気に自分がのまれそうな気がするので今日観る。時間帯が豊富なうちに観ないと見逃しそうなのもある

『関心領域』の登場人物の 

ヘートヴィヒのお母さん、近所だったかの知り合いが革命家だったか思想家だったかで(台詞も内容もあやふや)あぁ怖いみたいなこと話して、あの家のカーテン欲しかったけど他の人に取られてしまったと世間話で話す場面、もうそういう感覚でそういうものだと思ってるからなんだな。そんな彼女でさえも隣から響く銃声や悲鳴や夜も絶えない煙を見るのは耐えられなかったのが印象的だった。ヘートヴィヒはこんな世の中で「楽園」を築いたのだから手放したくない(それが収容所の隣からだとしても)て上手く言葉に出来ないけど割り切りがあったのかな。酷いことが行われていると分かりながら恩恵を受けることを受け入れている。あの銃声や悲鳴を環境音位まで割り切って聞いていたのかなそこは分からない。お手伝いさんへの最後ら辺の言葉もそういう価値観や常識が馴染んでしまったのかな。彼女が望む望まないに関わらず。あそこもしんどかった。

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8月『モンキー·マン』上映嬉しい~ ほんとに上映してももっと先だと思ってたから尚更よ…

あと『関心領域』観てて(映画の作りの話) 

冒頭タイトルの後に段々と真っ暗になって音楽だけ流れるのが予想より長くて「これはもしかして映像トラブル…?」とほんの少し心配でそわついてしまったの今思うと恥ずかしかった…。映画自体が見えている「外」の音について考えるものだったからそういうものだとすぐに察せられなかった

淡々とした映像で時々画面が真っ赤になったり「現在」が出てくるのとかすごいなあと思いつつそれ以上上手く考えがまとまらなかった。現在の遺品の数と写真は思ってた以上に気持ちが沈んだ

なんというか、そこで何が起きてるか詳しく知らないであろう子供達であってもその価値観から逃れられないんだな、それはそうか、て思った。悲しいというかそうなんだろうなあていう納得みたいなのがあった。

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上手く文章に出来ない…。その時の「当たり前」や「常識」みたいなのが結構あっさりと(じわじわなのかもだけど)それが非人道的や倫理的に駄目なことであっても受け入れてしまうんだな。分かってはいたけどそこはやっぱりどうしても怖かった。自分もそこにいたらそうなってしまうんだろうなあ、と思えて落ち込んだ。自分の価値観に自信がないので周りの言う事そのまま信じてしまうから。
というのも監督がそのような意図で作ったみたいなことを事前に聞いてたからそう感じた、みたいなのもかなりあると思う。でも監督のそういうインタビューやアカデミーでの言葉で観ようと思ったのもあるからそこはもうほんとどうしようもない

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『関心領域』観てきた。人は慣れる生き物で自分と異なる他人をそうしてもいいものだと周りが決めれば結構簡単にそういう振る舞いをしてしまうんだなというのを改めて感じた。

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