虎に翼の感想、別所から引っ張ってくるの巻
昨日の穂高先生のあれは「お前はもう死んでいる」だと私は思っているので、もうあのフォローは善意と気遣いでも「丁寧にお弔いしてあげるからね」にしか聞こえなかったし、よねさんは「しぬな、倒れるな、自分もいるから」って声をかけていたけど、「自分を曲げない」ことで寅ちゃんをひとりで矢面に立たせるしかない後ろめたさや悔しさもずっと強くあったと思う……「しにたくない」って手を取ってほしかったね……。
土居さんのお芝居も素晴らしかった……。事務所での「は?」のあの突拍子もない発声、あんなの意図的にできるもんなんだな……。事務所や燈台でのあの「悔しい」「悲しい」が凝縮されたお芝居に胸が潰れそうだよ……。
慈悲的差別とパターナリズムの真綿で寅ちゃんが絞めころされてしまったし、それを「看取る」しかできなかった「無資格」のよねさん……。
ラジオのは「出陣学徒壮行会」1944年10月21日かね……。
1944年2月の「決戦非常措置要綱」で燈台は営業停止状態のはず、だからよねさんは「ヤミ弁護士」業務的なあれを……。
岡山大空襲は1945年6月29日……。
「虎に翼」、崔香淑の兄を連れ去った特高(特別高等警察)。
治安維持法は朝鮮で最初に適用されたのであり、内地より植民地でさらに残虐に適用された。治安維持法による死刑が執行されたのも朝鮮でだけ。
植民地支配に対する植民地の人々の抵抗運動を監視し弾圧することが、特高の役割でもあった。戦前には入国管理の業務も特高が行っていた。内地では、在日朝鮮人の動向は特高警察によって監視されていたが、1930年代には、特高の指導のもとに在日朝鮮人の管理と日本社会への同化を担う協和会という組織が作られ、在日朝鮮人は「協和会手帳」と呼ばれた顔写真付きの会員証(後の外登証の原型)の所持が義務付けられた。
この特高は、日本の敗戦後、GHQによって内務省とともに解体された。しかし、特高の関係者は、その後公安警察や入管の仕事に携わった。