民意が正義を決定するわけではない。泉氏、影響力とギャラのためにテレビに出続けたいだけじゃないか。
【1ページ目】泉房穂氏 当確の斎藤元彦前知事に〝謝罪〟「厳しいトーンで対応してきた」「お詫び申し上げたい」 | 東スポWEB https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/324128
例えば1980〜90年代ぐらいまでは、漫画本やロックのレコードを自主制作&自主流通するようなことも、大資本に占有されたインフラ状況へのカウンターパンチになり得た。しかしプラットフォーム資本主義以降は、インディレベルで既存インフラに対するカウンターを仕掛けることが、とても難しい。
どんなアクションも、大資本が用意するプラットフォーム上のいち商品としてしか成立し得ない。インフラレベルでカウンターを仕掛けること・既存状況を否定することの難易度が、果てしなく上がっていく。表現のレベルでカウンターであっても、インフラのレベルでは大資本の論理を飲むしかなくなっている。
スケールすることこそが正義という感覚は、ビジネスのレベルだけでなく文化表現のレベルにおいても、この10年ほどで深く再強化されたと思う。自立性や個人主義的思考は、どんどん蔑ろにされていっている。
神戸出身の相方が「同級生らも斎藤に入れたって言うてた」って言うので「なんで??????」と聞いたら「あの自⚪️した職員がおるとか全部ウソらしいで」だって、、、。
.
.
.
.
.
.
.
.
.
ハァァァァァァァ(特大のため息)
かわいそうな県職員たち
もうこの知らせだけで死ぬかも知れない人がいることは
投票した人の心に届くのかな?
兵庫県知事に斎藤氏再選確実 文書問題失職も支持拡大
2024年11月17日 20:21
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/1473484
よく分かるのだが、違うというつもりもないのだが、半分行って無い状況・結果を「県民を煽動した」と言ってしまう事に判然としない感覚がある。
この回で陰謀論を信じやすい人の特徴について話していて、割と納得した。
アメリカでは論文にしてもまず結論から出すことを良しとするけど、そうすると結論ありきなので、その後の説明が多少破綻していても信じてしまうみたいな話(見返してないのでうろ覚え)
順を追って説明するのを好む人は、結論は自分で考えたい人なので陰謀論にはハマりにくいと。
さっきのドラマの話もまあわかるけど、アメリカで陰謀論が流行りやすいのはそこもあるのかも?
https://www.youtube.com/watch?v=HmClYAes144&feature=youtu.be
大勢がいる場所で誰かが『詰め寄られている』っていう図が『いじめられている劣勢の個人』に見えてしまう、そこに至った背景とかは特に大きく影響せず、場の空気感、雰囲気でそういう判官贔屓の心持ちが湧いて出てきてそれに従ってしまうというか……「かわいそう」という『擁護』の声にはそういう『情』を感じてしまう。
ちょっとテレビショーみも感じます。県政はもとより、同じ職場で働かざるを得ない生身の人間の明日がどうなるか、がかかっていることでもあると思うんだけど、「かわいそう」の印象で「私はこのキャラクターを応援する」へ一点突破できてしまう。他県からも「かわいそうな斎藤氏」個人を応援したいと思わせる。
こういうの、「兵庫県民の選択」としてまとめてしまっていいものでもないと思ってしまう……。
いや本当にね、声をあげたひとが馬鹿を見るような、声をあげたひとが「嘘を言っているかも」「大袈裟なのでは」と『一考』される環境が肯定されてしまうような、そういう土台が県庁……組織に成立してしまうわけだよな、と私は思ってしまうので、怖い以外の何物でもないです。斉藤さんかわいそう、というのって「加害者である権力構造のトップのひと、責められてかわいそう」という意味ですよね。
坂東から帰洛したみやこのムジナ