まだこれずっと考えてるんだけど、無知とか無関心とか様々な理由から差別に加担していた人が「自分は過去にこういう理由で差別的なことを言ったりやったりしていたけど、勉強したり実情を知って過ちに気付いたので、差別をやめます(やめました)反省」と表明することは、やっぱりある意味では必要なんじゃないかな…と個人的には思う。
というのも、アライっぽい人の意見に対して、「この人、前は差別に加担していたのに今はこんなまともっぽいこと言ってるんだ。どういうつもりだろう?調子良すぎて信用できない」的なことを言われているケースを目にすることがわりとあって、別に全員が総括とか反省を表明するべきとは全く思わないんだけど、あまりにも急な転向を遂げると、表明しないことによる分断が生まれてしまう可能性もあるのではないか…?とか…。
こういった表明は、今も差別をしている側の人達に向けられている事が多いように思うんだけど、今現在、そういった差別によって命の危機に晒されてる当事者が「自分はこんな差別をしていた」という、見方によっては『過去の悪さ自慢』とも取れるような表明を見て改めて不必要なショックを受けるとかは望ましくないし、本当に難しい……。
当事者の声を聞いて勉強したり、考えて反省したり、署名したり寄付したり、周りの人に話をしてみたり、自分が折れないようなやり方で自分に出来ることを出来る範囲で少しずつやっていくしかない
@insaem 生まれ育った家庭や、社会などの環境がすでに差別する構造に浸かりきっている今の状態で、これまで一度も差別に加担したことのない人って、絶対そんなにいないと思うんですよね。
月並みですが、間違っていたことに気がついたらそこからどうしていくのかが重要なんだろうなと思いますし、指摘するにしても人間関係やタイミングによってはより頑なになってしまうケースもあるので本当に難しいと思います。
みんながそれぞれ勉強して考えて反省して変えていくしかないんですよね…。
@aiknwuriknru
ありがとうございます。はい。おっしゃるように「みんながそれぞれ」考え反省する時に、今、来ているように思います
@aiknwuriknru 私も「反省する」ということについて、ずっと考えています。
私は2世とはいえ #統一教会 (#家庭連合)を信仰していた者で、それだけで大変な差別思想(優生思想)を持っていたことになります。
また、この教団の自民党との関係から、今の日本の衰退を招いた一因になっていたという事実も……
具体的な行動に繋げるか否かは別として、辛いけど、このことに真摯に向き合い続ける必要は、あると思っています。