「差別やめました」宣言したからってその人がこれから先絶対に差別をしないことの証明になんてならないわけだし。
誰でも知らないうちにやってしまったりすることだからこそ、なんかこう変な意味での監視とかじゃなく、それぞれ良いかんじに学んだり反省したり補い合ったりしていきたいというか…言葉は違うだけで同じ意味なのか……?
もし私が自分でも気づかないうちに差別に加担していたら教えてほしいといつも思っているけど、自分に対してそこまで親身になってくれる人なんているんだろうか……みたいな不安もある。
きっと信用が減っていって、いつの間にか周りから人が離れていくんだろうなみたいな…。
@aiknwuriknru 私も「反省する」ということについて、ずっと考えています。
私は2世とはいえ #統一教会 (#家庭連合)を信仰していた者で、それだけで大変な差別思想(優生思想)を持っていたことになります。
また、この教団の自民党との関係から、今の日本の衰退を招いた一因になっていたという事実も……
具体的な行動に繋げるか否かは別として、辛いけど、このことに真摯に向き合い続ける必要は、あると思っています。
@insaem 生まれ育った家庭や、社会などの環境がすでに差別する構造に浸かりきっている今の状態で、これまで一度も差別に加担したことのない人って、絶対そんなにいないと思うんですよね。
月並みですが、間違っていたことに気がついたらそこからどうしていくのかが重要なんだろうなと思いますし、指摘するにしても人間関係やタイミングによってはより頑なになってしまうケースもあるので本当に難しいと思います。
みんながそれぞれ勉強して考えて反省して変えていくしかないんですよね…。
@aiknwuriknru
ありがとうございます。はい。おっしゃるように「みんながそれぞれ」考え反省する時に、今、来ているように思います
当事者の声を聞いて勉強したり、考えて反省したり、署名したり寄付したり、周りの人に話をしてみたり、自分が折れないようなやり方で自分に出来ることを出来る範囲で少しずつやっていくしかない