話をうかがっていると、おそらくは小説と比べて、バンドの作曲行為には参入障壁というか自然と少数派になってしまう理由があんまり可視化されていない話でもあるよな、といった感じもします。
作曲を一人で完結させる場合は、基本的にギターに習熟していないとつくれない(なぜならコード進行を理解できなければ曲構成がつくれない)うえ、他の担当楽器パート(べース、ドラム、キーボード)への理解も必要になりますし、初心者はそのあたりの視野の拡張がデカい壁になります。
じっさい多くのバンドの作曲担当はギタリストであることが多いです。コピーバンドだけしていると、べースやドラマーはあんまり作曲をしようとは思わない/できない状況があるといいますか。
これ、物凄い数の人間を敵に回す発言なのですが、カバー曲だけを演奏しているのに「バンドをやっている」と言っていいの? という感覚が、友人の自作曲に歌詞を付けていた中学生くらいから抜けていないんですよね。これって自分が小説の書き手で、そこと比較して音楽演奏を捉える、という誤った類推をしているからなんでしょうが。
小説には基本的に「カバー」すなわち「既存の作品を演奏する」に相当する行為はなく、書き写しとかがそれに該当するとしても、初心者がそこから始めることはけっこう想定しづらい。どんなにビギナーでも、バンドでいうところのオリジナル曲から創作行為をはじめる。言い換えれば、小説では「表現行為」と「創作行為」がほぼ一致する。あるいは、小説における「創作行為」のハードルを低く設定してしまっている? ここらへんを無視した類推をしてしまっている気がします。
作家(阿部登龍)。第14回創元SF短編賞受賞作「竜と沈黙する銀河」(紙魚の手帖vol.12)、「狼を装う」(同vol.18)。SFとファンタジーと百合とドラゴンとメギド72が好き。
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