久生十蘭「電車移住者」読んだ。空襲で家と家族を失った人々が使われなくなった電車の中で共同生活を送る話。空襲による火災から逃げる切羽詰まった場面で、無駄に数式がなんやら化学式がなんやらと衒学的に書く様は滑稽で可笑しいが、でも確かに混乱してる時って頭の中で変な回路がつながる事あるよねと思う。数ヶ月前に読んだ大坪砂男「天狗」もただの逆恨みからの殺意を突飛な論理で殺しの正当化に繋げる場面があって、こういう変な論理が出て来る小説もっと読みたいなと思っていたので出会えて嬉しい。
原作の雰囲気を出すために方言での翻訳を開発元から依頼され、方言の中で自分がもっとも慣れ親しんでいる長崎弁を選んだというのはなんらおかしなことではないと思うが、訂正の文章の中で誤解を生むような表現があり実際に変な誤解を生んでいるのは良くない
https://x.com/reimond1997/status/1803714139694727593?s=61
「私がそれを最も反映できるのは地元である長崎をはじめとした九州弁だと決断したから」は
「地元が長崎なので勘所が分かっており、クライアントが求める表現にマッチしたものを提供できると考えた」と
「数ある方言の中で自分の地元である長崎の方言こそがもっとも作品にマッチしていると考えた」
のどちらとも解釈が可能で、後者である判断した人にはさらに怒りを買う状況になっている(難癖にしか見えないけど)
柏病院生まれ東京育ちなので、素朴に方言をアイデンティティとして持ち標準語と両方使える人を羨ましく思うが、そんなことを表立って言った日にはどれだけ怒りを買うのだろうと...
シグルイで過去のトラウマを復讐の道具に使うのは正しくミステリ的だな
『チボーはもうとても堪えきれなくなり、オルランディーヌを抱き抱えてヴェネツィアのモアレ張りの寝椅子に横たえた。彼は思ったーー俺みたいに幸せな男はこの世におるまい……。が、たちまち、その思いは消し飛んだ。鋭い鉤爪が自分の背中に食い込むのを感じたからである。
「オルランディーヌ、オルランディーヌ」
彼は叫んだ。
「これはどういうわけだ」
オルランディーヌは、もういなかった。チボーの目の前には、打って変わった得体の知れぬ醜怪な形の塊があった。
「あたしはオルランディーヌなんかじゃない」
怪物は肝も潰れるような声で言った。
「あたしはベルゼブルだ。」』
「サラゴサ手稿」(工藤幸雄訳/東京創元社) P.203より
サラゴサ手稿はずっとベルセルク一巻の冒頭のセックスシーンみたいなことやってる
建築を勉強したいと思っている