『チボーはもうとても堪えきれなくなり、オルランディーヌを抱き抱えてヴェネツィアのモアレ張りの寝椅子に横たえた。彼は思ったーー俺みたいに幸せな男はこの世におるまい……。が、たちまち、その思いは消し飛んだ。鋭い鉤爪が自分の背中に食い込むのを感じたからである。
「オルランディーヌ、オルランディーヌ」
彼は叫んだ。
「これはどういうわけだ」
オルランディーヌは、もういなかった。チボーの目の前には、打って変わった得体の知れぬ醜怪な形の塊があった。
「あたしはオルランディーヌなんかじゃない」
怪物は肝も潰れるような声で言った。
「あたしはベルゼブルだ。」』
「サラゴサ手稿」(工藤幸雄訳/東京創元社) P.203より