【速報】
宮城県立精神医療センターの富谷市移転計画が撤回される模様です
宮城県議会の11月議会で村井嘉浩知事から正式発表があります
わたしが昨年2月に移転反対の署名を始めて以来、沢山の皆さんに賛同していただき、温かい言葉で支えていただきました
皆さんのおちからのおかげです
本当にありがとうございます!
やった!
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【独自】「精神医療センター」宮城・名取で建て替えへ 県が方針固める | 河北新報オンライン
https://kahoku.news/articles/20241121khn000014.html
対外的戦争は必ずしも全体主義に必要とされるわけではない、というのは、中国における文化革命、スターリン下のソ連を見れば明らかで、国内における思想統制と「異端者」の排除の形態もとりえます。
当時は、共産主義と民主主義のイデオロギー闘争の時代だったことを反映して、イデオロギーが理由となりましたが、現在では、性をめぐる規範がもっともありうることで、トランスジェンダーはまさにその象徴になっているのだと思います。
トランスジェンダーという存在を「殲滅」するのは、物理的な破壊は必ずしも必要とせず、「存在しない」と社会的に規定することによって完成しうるものです。
しかし、全体主義はその性質上、次なる殲滅すべき敵を必ず必要としますので、その次は、また別の属性が殲滅対象となります。それは、LGBTQが考えられますが、フェミニストかもしれない、高齢者かもしれない、貧困者かもしれない、あるいは富裕層かもしれない、誰が選ばれるかはその時々の時流によります。
全体主義のもうひとつの側面は、社会への一体感を抱けるとともに、それに参加することによって社会の役に立っているという生きがいや高揚感を感じられることです。
これは、全体主義渦中にあったドイツ、日本の一般庶民の証言のなかに多く出てきます。
はじめて世界は意味を持ち、生き生きとして感じられた。あんなに楽しかったことはない。
これは、おそらくそれまでの社会で不遇を感じてきた人ほどそうであったでしょう。
民主主義を守れ、といっても、その民主主義社会のよさを実感できていない層には、まったく響かない、と思います。
「全体主義」というと、対外的戦争につながるからよくない、と思われがちですが、戦争は全体主義の一形態に過ぎず、その本質は、次々と打ち破るべき敵を措定し、それらを殲滅しながら、集団の一体感を醸成、高揚を保つということです。
それとともに、既存の社会システムを破壊していくのですが、かと言って代わりの社会システムを構築するわけではありません。
したがって、全体主義の行き着くところは、既存の社会システムを食い尽くした挙句の破綻しかない、というところが、全体主義が強く警戒されるところになります。
小川たまかさんの『たまたまな日々』を拝読。
たまたまな日々・土台が崩れてる | たまたまな日々 https://ogatama.theletter.jp/posts/0a4d5e30-a54b-11ef-8bfd-c915b329bc16
「負けた側のやり方が悪いというのは簡単なのだが、反則技を堂々と使ってくる相手に勝てっていうのも無茶苦茶じゃね?と思う。」
今回の知事選の結果を受けて感じた絶望感というか嫌悪感の原因のひとつはこれだよなぁ。こういう方法を平気で使える相手とまともなやり方で戦おうとしても最初から負けは見えてるとしか思えない。性善説はもう無理でしょ、とも思う。かと言って規制をかけるとその影響を最も強く受けるのは彼らではない気がしてしまう。こんなやり方を選んだ人間とそれに簡単に乗っかった人間への憤りと嫌悪感は時間が経つごとに募っている。そのうち「諦め」になるのかもしれないけれど。
定時退勤。
今のメチャクチャな政治とケア&ネグレクトの話をダラダラします
ペットシッターだから様々な家族と動物の関係の一部として、その辺のケアとネグレクトはピンキリ観察してるのね。それで、これは思い込みかもしれないけれど、政治に興味があるからなんか世界の状況と重ねて考えちゃう。あと、これは学歴/教養の話を動物の話に置き替えて学歴を要因として一旦横に置いてるのかも。
多頭数の犬がいるからネグレクト状態になりかねないシチュエーションと、犬が1人2人いる家庭とでは関係性が全然違う。多頭数だと限りある人間のアテンションを欲しがって、ギャン吠えや噛みつきで他の犬より自分をかまってもらおうとする。いつも必死だから、お座りや待てなんてそっちのけ。こっちはケアするのが仕事だから、時間をかけて教えてアテンションの分配からカオスを除きたいけど、欲しがってる注目はそんなんじゃないから「いやいや、抱っこしてッ!撫でて欲しいのッ!」って付き合ってもらえなく、カオスの終わりが見えない。
あたま数が少ない家庭では、人間に話しかけるように犬に話しかけてる場合が多い。だから犬はわざわざ教えなくても様々な言葉を学習して、コミュニケーションがビヨンドお座り待てで、お互いの感情やニーズをある程度伝え合える。普段は主従関係と見なされるものがもっとフラットになっている。まあ、これは動物バージョンの学歴かもしれないけれど、私は(コマンド以外に)コミュニケーションを取ることはケアだと思う。こういう状況だともちろんトラブルが少ない。
なんか、こう、今の荒ぶれた政治ってネグレクトされた人々がアウトレイジカルチャーで騒いだり暴力を振ってかまってもらおうとしている様に見えなくもない。人間も動物だから。とにかく周りの誰よりも先にケアを受けようと他人を攻撃するのも犬達に見るよ。自分達が参加者のはずの民主主義国家がもっとケアを行なっていれば、信用やコミュニケーションのベースがあれば、噛みつこうとしないかも…と思う。(ケアはコミュニケーションの一種でもあるかも?)
貧困とか地球や人類の行く末の不安で切羽詰まった人間の根っこにある素性が作動されているのも今のご時世になった理由の一つじゃないかと考えてる。実は、学歴などはあまり関係なくて、学歴が持ち出されるのは「誰がもっとケアを受けているから攻撃の対象になるべきか」という犬笛なのでは。
水曜日は私はお休みなのだけど、向かいのコミュニティに住むお客さんが先週背中の痛みでサロンに来れなくなったので、今日の午後に家まで行ってカットすることにした。3週間おきにすでに2025年の12月まで予約入ってる人なので早く対応した方がこっちも今後数回のリスケをして調整しなくて済む。
さっき、痛み大丈夫?椅子に座るのが無理なら延期するから言ってねとメッセージ送ったら、この記事面白いから後で意見聞かせてとリンク送ってきたので大丈夫だろう。
今の私の歳よりももっと若くにリタイアしているマイアミ初代の女性警察官だった人で当時の話がとても面白い。
私がカットするようになってからすごく日本のことに興味持ってくれて日本の記事を見つけると読んでリンク送ってくれる。
彼女にとっては、私=日本なんだと思うと、こういうめちゃくちゃミクロレベルのお付き合いってなかなか大事だと思う。良くも悪くも私が彼女の持ってたジャパンのイメージを覆したそうだ😂
今から読む↓
What a School Performance Shows Us About Japanese Education
https://www.nytimes.com/2024/11/18/opinion/japan-education-childhood.html?smid=nytcore-ios-share&referringSource=articleShare
Colaboについて虚偽を並べ立て、「インフルエンサー」を中心としたSNS上のコミュニケーションを通じて暴力へのハードルを下げ、物理的な暴力の脅威すら伴うかたちで活動への妨害もたらす「ネット暴徒」は、それによってまた、Colaboがアウトリーチしていた少女・若年女性たちから必要な支援や選択肢を奪っている。
同じように、にじーずに対して虚偽を並べ立て、SNS上の異常な閉鎖性のなかでトランスジェンダー・LGBTQへの憎悪をたかめ、貴重なアウトリーチの手段すら奪った「ネット暴徒」は、またにじーずが作ってきた貴重な居場所を危険にさらし、つまるところにじーずの作る居場所を必要とするユースに対して実害を行使しつづけている。
こんな無茶苦茶なことが許されていいはずがない。暴徒は暴徒。公金がどうだとか、グルーミングによる被害から若者を守るとか、意味不明な大義を掲げながらNPOを攻撃している人たちの暴力性を助長するプラットフォームは、害が大きすぎる。そしてその暴力性を「ネットのこと」としてスルーしてきた主流メディアにも、責任の一端はある。ただ、一部の政治家すらその暴力に加担しているのではあるけれど。
北の果てでポンコツ教員してます。。。
born in Sapporo in 1972
he/him
Sapporo > Rishiri > Nemuro > Kitami
teaching at a high school
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ActivityPubで繋がるFediverseこそ世界の情報と連帯の新たなインフラとしてどんどん発展してほしい。Fedibirdに寄付することでその発展に貢献したい。
Fediverse以外ではInstagramを利用▶︎Fedibird支援の課金勢(11,000円/年)▶︎Colaboのサポーター会員(60,000円/年)▶︎Tweetbotを生んだTapbotsに深く感謝しているのでIvoryも激推しの重課金勢