わたしが建築学科の学生だった20年前からすでにヒートアイランドの話はされていたし緑を増やすべきである話もたくさんされていたのに、20年で緑が増えるどころか建築関係の人たちががっつりかかわる不動産屋の手先になって緑を減らしているというのは本当にどういうことなんでしょう。
建築や都市工学の中で語る理想を社会に反映させられず、すべて金の話に負けるのならそんなものは学問とは呼ばないし、もう20年も前から大手デベの靴を舐める輩しか業界にいられないようにしてきたのだろう。腹立たしい。あの頃、環境負荷低減技術を研究していたわたしに行き場所がなかったのも頷ける。
だけどこれまでも、知が越境する度に誤読、誤訳を元に様々な知識や知見が生まれてきたのも事実。これは識字と書物が大衆化する度に加速してきた人類の属性と言っていいと思う。人間の生活史としては極めてありふれたことに過ぎない。
知識が大衆化すればするほど期待とは反対に知識が格差を生むメカニズムがこれだと思う。
https://www.technologyreview.jp/s/342345/ai-trained-on-ai-garbage-spits-out-ai-garbage/
“ネイチャー(Nature)誌に発表された新たな研究によると、AI生成のデータを使ってAIモデルを訓練すると、モデルの出力の品質は徐々に劣化するという。後続のモデル群が生成した出力データが将来のモデルの訓練に使われるようになると、その影響は悪化の一途をたどる。”
これは別にAIに限らず人間にも起こってる。つまり、ググれば答えにありつけるという態度で学習し続けた結果のツイッタランドであり、そういう環境で育った学者、知識人による書物がそうだ。
次の世代がネットに依存するのは劣化につながると判断して書物に回帰したとしても書物が既に汚染されている。
書物は先行する書物に対する解釈を含むから、ある時代の書物をパスして学習しようとしても汚染された書物の影響を排除するのは不可能だ。
MIT Tech Review: 生成AIのデジタル劣化問題、ゴミがゴミを生み出す最悪の未来 https://www.technologyreview.jp/s/342345/ai-trained-on-ai-garbage-spits-out-ai-garbage/
猫を風呂に。一週間ぶり9回目。
風呂を熱望する猫の勢いに負け、頻度が高くなってる。シャンプーなしでお湯に浸かるだけだから、まあいいかなと。来月で17歳、今のところ元気だけど、あと何回入れるかわかんないし。
テレビのチャンネル回してて(←古い)ついうっかりオリンピックの中継がかかってるのに出くわした時、なんか凄い超人技とか白熱した試合とか目にするのは、それは楽しいんだよね。観る側からしたら、豊かな芸能とか芸術とかを堪能するのと一緒で。ただし、その放送にできれば日本人選手は入ってない方がいい。なぜなら、実況と解説の人が気持ち悪い情動ダダ漏れで日本人選手の結果ばかりに一喜一憂するので、せっかくの観てて楽しい気持ちが削がれまくるから。そして、競技が終わってスタジオに切り替わったらもう最悪で、スポーツとか関係ないただの放送局の社員と謎の芸能人とでニツポソSUGOIの下劣な情動垂れ流しの阿鼻叫喚の地獄絵図が始まるので、結局「観るんじゃなかった」と後悔しながらテレビを消して不愉快の余韻に浸って終わる。頼むから、「我が愛する日本人選手が挑む相手は誰か?」って文脈でも構わないから、そこは妥協するから、世界の凄い選手の経歴とか能力とか技とか故国での暮らしぶりとかどんな社会的経済的困難を乗り越えてきたのかとかも存分にスポットを当てて放送してほしい。あと、スタジオは要らないから滅んでほしい。
スポーツで楽しく一喜一憂できるような状況じゃないし日頃から「国を代表して」とかましてや「日の丸を背負って」とかいう文言なんて耳にしたくないのになあって思いつつも私も普通にストリート系の種目とバスケだけは楽しく一喜一憂しながら観てますね オリンピックじゃなくたって観てるやつだし
TLを追っていると、「積ん読になっても平気!(むしろ積ん読になった方が楽しい!)欲しい本をどしどし買っちゃえ!」というメッセージが溢れていて、勇気と希望が湧いてくる。
一番大きく変わったのは、「ごはんとおかずを交互に食べる」という習慣が完全になくなったことかな。
食べる順番で言うと、「野菜などの食物繊維、タンパク質、最後に糖質」という順番で食べると血糖値の上昇を緩やかにできる。というわけで、実践し始めたのですが、いろいろ副産物もあり、とても良いです。
1)最後に糖質=ごはんだけを食べるので、ごはんの量が自然に抑えられる。制限内のカロリーに自然と収まる。
2)おかずだけを食べる場合、おかずの味がやや濃すぎるようになるが、良く噛むことでちょうどよい味になる。というわけで、早食いを避け、よく噛む習慣を自然に導入できる。
食事制限は「制限」と聞くと悲しく寂しい響きがあるのですが、制限があるのはある意味当たり前で、「その中での最適解を探す」ことが私たちの喜びの大半を占めていると思うんですよね。無茶な食べ方してると早死に、すればまだマシで、食べたいものも食べられない厳しすぎる制限の中で晩年を過ごすことになりかねない。むしろ、制限を最大限の緩めるためにこそ最適化が大事。……と考えると、もうちょい前向きになれませんかね。どうすかね。
食事については、きちんと数値を意識して食事するようになってみると、「よくも今までこんなに暴食してきたものだ」と我ながら呆れます。
で、揚げ物と肉類は大幅に減り、タンパク質は鶏肉と大豆系が中心になり、丼物やカレーも大幅に減り、(元から野菜はよく食べてたのですが)自宅で仕事の時にもちゃちゃっとサラダ作ったり、野菜でかさ増ししたり。
これ、向き不向きもあるのかもしれないけど、私は食べることが好きで鶏肉も豆腐も納豆も普通に大好きなので、牛肉や豚肉を大きく減らしたとしても特に苦痛には感じない。鳥ササミは「パサパサする」という人もいるみたいだけど、私は普通においしいです。野菜も好きだから、米減らした分は草食ってる感じですけど、これはこれでちゃんと美味しいし、満足度はすごく高い。
一番大きく変わったのは、「くだらないものを食べたくない」って意識が強まったことかな。豚肉や牛肉も食べるのですが、食べるなら「ちゃんと美味しく」食べたい。「カロリー制約条件付きの満足度最大化問題」を解いてる感じで、これはこれでゲームみたいで楽しくなってきている。
右肩は割と順調に回復してるのですが、さすがに6段階中6段階目の最重度「五十肩」だっただけに、頑固に筋肉が固まってて奥の方のこわばりがなかなか取れない。可動域はようやく頭の右側は右手で洗髪できる感じだけれど、まだまだ明らかに動かしにくい。
そうこうしてる間に、左肩の手術日程も決定。今月末に再度入院して骨棘(こつきょく)をとってもらう手術になります。骨棘は右よりデカいらしいけど(笑)、右と違って筋肉の拘縮は今のところないので、術後の回復は早い、はず。主治医の先生によると、安静は必要だけど、お風呂で洗髪するくらいは動かせる、とのこと。
今年は春から肩のトラブルで手術とリハビリに明け暮れてる感じですが、側から見ると大変そうに見えると思いますが、今までの不摂生を反省して生活のすべてを作り直しているので、そのこと自体が楽しくもあり、意外と気分は良いのであります。外食はめっきり減り、食べる方の内容はガラリと変わり、7月の検診では血液検査のデータが大幅に改善、Hba1cの値をもう少し落とせば満点、というところ。もう一息頑張ろう。
北の果てでポンコツ教員してます。。。
born in Sapporo in 1972
he/him
Sapporo > Rishiri > Nemuro > Kitami
teaching at a high school
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