iPadのCM、アメリカ企業がやるにはかなり際どいガザ虐殺批判なのでは? と初見で思いましたが……それはAppleが良心的かつ皮肉の効いたCM作る会社と思いたがるバイアスでしょうか?
小学校低学年で『コン・バトラーV』の「実は俺はロボットだった」自我崩壊トラウマ将軍とロボット婢女美少女コンビにやられ自分の癖の基本が作られる。高学年になり『銀河鉄道999』で謎の年上美女に攫われる快楽に目覚め、同時に「お前の好きなものは『SF』と呼ばれているのだ」と松本零士に教えられる。
999が毎週どこかの惑星に停車しているこの時期は、毎年パイオニアとボイジャーのどれかが外惑星の写真を送ってくる時期でもあり、イオもガニメデもタイタンも身近な星というのは大きい。
『009』と『超人ロック』と『地球へ…』にほぼ同時期に出会って「髪の毛は重力に逆らって良い」ことと美少年という概念を知ったのも同時期、ここまで12歳、小6。
図書室に子供向けSF全集はあったけど、自分で初めて本を買ったのは、中学生になってから『ガンダム』ノヴェライズか、安彦良和・挿絵『クラッシャー・ジョウ』か、本家パワードスーツ『宇宙の戦士』のどれか。基本ガンダム。
中3で『グイン・サーガ』と出会い、さらに栗本薫の本に竹宮惠子が表紙の妖しいものがあることを知る。
またグインの他にも文庫JAには日本人作家のSFがあることを発見し、神林長平、大原まり子、谷甲州、野阿梓を読むようになったのが高校生……
某陽の当たるところにある地獄では(某メジャーSNSのこと)、元乃木坂メンバーの女性が「デモなんて参加して意味あるんですか?」のような発言したからと嘆いたり叩いたりしてる年長者が大勢沸いていて、全員地獄に落ちろやと義憤に駆られている……
乃木坂は詳しくないけど(櫻坂に特化したファンなので)、
仮にそれが100%彼女の本心から出てきた主体的な発言だとしても、最近の若い人「だけ」の価値観なんかでは全くない。それは僕が高校生だった40年前からずっと、若い世代の主流の価値観で、TVでよく言われている言葉ではなかったか? デモなんか良くない、ダサい、怖いといって忌避してきたのは、少なく見積もっても「失われた30年」とかを作ってきた、今の中高年以上の世代全体ではないだろうか? SNS発言者個々人の経歴は知らないけど、そういう空気を作ってきた、少なくとも変えてこなかった世代の子供として、成果として、「そういう若者」がいるのではないの?
(つづく)
文学フリマ東京39に申し込んだ
プロレスで世界チャンピオンのベルトは「強い」だけの男では巻けないんですよね。興行なので。
レスラーとして本人に強さも含んだ魅力があることはもちろん必要だけど、世界中(まあ、米国各州大都市)のリングに上がって、どこでも客が入る選手でなければならない。
そのためには、挑戦者の魅力や強さを引き出し、試合を盛り上げる力も必要。ボクシングや総合格闘技なら1ラウンドKOや秒殺でも盛り上がるけど、一方的に勝つのでなく、30分なり60分なり会場を沸かす能力、試合を組み立てて流れを作る能力が問われる。挑戦者が仮にB級レスラーでも、強豪であるように思わせ、客を熱狂させるのが良いレスラー。
何度も何度もNWA世界のベルト(当時、最高に権威があったベルト)を巻いているハーリー・レイスやリック・フレアーは、それが多分抜群にうまかったのだと思う。
父親のフリッツ・フォン・エリックの試合を見たことはないけれど、アイアン・クローで一方的に勝つ感じの戦い方からすると、相手に花を持たせることはできないタイプの選手で、だからテキサスローカルのチャンピオンにはなれても、世界のベルトは獲らせてもらえなかったのでは、と映画での描き方からは感じた。
そういうところも、悪しき父性が影響している。
立川の映画館で『アイアン・クロー』と『メメント』をハシゴしました。
『アイアン・クロー』は実在のプロレス一家、フォン・エリック・ファミリーの悲劇を題材にしたドラマ。80年代の『世界のプロレス』の世界。
「強い男であれ」という父の抑圧のもとで、四兄弟(子供のうちに亡くなった長男がいるから正しくは五兄弟)のうち急死(病気を隠していたのが一因)ひとり、自殺二人。そこから、リタイアすることで、生きながらえた次男と妻子たち。彼が生き方を考え直すことになった一因が、挑戦者として戦った世界チャンピオンリック・フレアーが気楽に試合後に飲みに誘ってくる姿だったのが印象深かった。
『メメント』は公開当時以来、久しぶりに見ました。よく練られているよなと思いつつも、「これに付き合う必要あるのかしら?」という気にもなった。あとディテールを追いきれていないところに、自分の老化を感じましたよ。
「なりたい自分であるために、記録も記憶も嘘をつくのだ」という結論はわかりみがある。
今週『オッペンハイマー』を観ました。その感想メモ。
・欧米社会の、またはアカデミアの、国境を越えた交流、風通しの良さ、自由さ。移動と田園風景。
・カットを切り刻んで時間軸をシャッフルすることで生まれるエモーションと、それでも崩れないロジック。『メメント』で味を占めた、というか脚本と編集に絶対的な自信を持っているな。
・人間の多面性。複雑さを複雑なままに描く。容赦無く。
・会話、台詞強い。脚本読みたい(見習いたい)。予言のように象徴的。それは時には女をミューズとして扱うことにもなるが。
・実験の描き方。屋外でのんびりサングラスをかけたひとたちの暢気さ。音と光の速度差を無音シーン演出に使う、表現と写実の交差。
・この、ガッツポーズして皆で盛り上がっている空気、熱狂、他国(有色人種?)への態度が、現在も続いているのだな。
・モーツァルトとサリエリ。信用できない語り手。
ツイッターあたりでいう「弱者男性」って「タダでやらせてくれる女もいないし、やらせてもらうための金もない。この惨めな俺を救ってくれ!」みたいなことでいいのかしら? 実際には金も女も持ってる男が主張していることは、あるのかもしれないけど。
もちろん、そう言って女性アカウントに絡めば迷惑なだけなのは当然で、まして犯罪行為は犯罪でしかない。
しかし21世紀を生きる男性の99%は弱者で、1%に搾取されている存在だってことは忘れてはいけないだろう。むしろ男は積極的に弱者であることを自ら認めていくべきでは、と言う気はしている。
結婚制度は家父長制を維持するものだから無くすべき、という意見はよく見るけども、最近の自分は、それは「資本主義を肯定することになるから労働組合を作ったり入ったりするのはよろしくない」というくらい悪手ではないかという気がしている。
個人が権力に対抗するための最小単位としての「家族」はむしろ必要ではないか。「公助よりまず自助、共助」ということを、公助を実践する気の無さそうな政府が言うなよ、とは思うが、じっさい公助どころか、公の暴力になることもある国家に対して、弱い個人が連帯するためのあらゆる手段は守るべきではという気がする。
もちろん、ここには同性婚も含むし、そもそも繋がる根拠が「愛情」である必要もないと思っていて。それが戸籍上の結婚の意味のすり替えであれ、パートナーシップ制度の拡張であれ何でもいいけど。
作家、ライター/主にSF小説などを書きます。第12回創元SF短編賞最終候補。ゲンロンSF創作講座第4, 6, 7期受講生。