「鵺の碑」読んでて何かシリーズを一冊二冊読み飛ばしてるような気がしたんだけど
短編集を読んでなかった

益田 榎木津の助手、元刑事
和寅 榎木津の助手
鳥口 雑誌記者
長門 元刑事
伊庭 元刑事
青木 刑事
藤村 老刑事
長谷川 刑事、木場の同僚
近野 木場の上司、麻布署係長
郷嶋郡治 公安
植野 日光の交番の巡査
小島 日光の巡査、戦死
木暮元太郎 日光の元刑事

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「鵺の碑」の人名表
ネタバレは無いはず……と思うけどあるかもしれない

中禅寺秋彦 京極堂
関口巽 小説家
榎木津礼二郎 探偵
木場修太郎 刑事

久住加壽夫 劇団の脚本家
寒川秀巳 薬局の経営者、失踪、父が20年前に転落死
寒川英輔 寒川の父、植物学者
御厨冨美 寒川の薬局の薬剤師
可児卓夫 御厨の同僚
寺尾美樹子 御厨の同僚

桜田登和子 旅館の従業員
奈美木セツ 旅館の従業員
笹村倫子 桜田の同僚
田上 商人宿、田貫屋、桜田を預かる
寛永堂 仏具屋、桜田の弟妹を預かる
浅田トヨ 桜田の祖母

笹村一雄 仏師
笹村伴輔 笹村の父、新聞記者、一白新報
笹村澄代 笹村の母
喜田庄助 笹村に仏像を頼んだ
桐山勘作 笹村が預けられた、マタギ

築山公宣 学僧
仁礼将雄 築山の大学での後輩

緑川佳乃 病理学者
緑川猪史朗 緑川の大叔父 診療所の医師、死亡

小峯源助 民宿の主
石山嘉助 猿を撃って死ぬ
安田 寺の建物の雑用をする初老の婦人
安田の夫 肝臓をやられて死ぬ
田端勲 首を吊って死ぬ
妙子 田端の妻
徳山丑松 漆塗り職人
徳山滋子 丑松の妻
昌夫、忠夫 丑松の息子
珠子 化け物屋敷で働く
桜田裕一 卒中で死亡

最近読んだ漫画
「超人X」「千年狐」「天幕のジャードゥーガル」「黄泉のツガイ」「これ描いて死ね」「ミステリと言う勿れ」の新刊。
「騎士王の食卓」リアルな細部と理想化された美しい絵柄のバランスいい。
「事件記者トトコ!」ドタバタしたコメディ。罪のない感じが好き。
「エクソシストを堕とせない」少年漫画?の能力バトル?というジャンルの枠内でだけどキリスト教をちゃんと描こうとしてる気がして珍しい。今のところ好き。
「おののけ!くわいだん部」面白いんだけど妙に高いような。

「殺し屋イチ」と同じ作者の「のぞき屋」を読み始めたけどこれは無理。
ノーモラルなのをあえて抜きにしても描写が気持ち悪すぎて無理。ギブアップ。

kindleアンリミにあった漫画をお勧めに従って読んでたら濃いのばかりになった。
「殺し屋イチ」暴力と拷問とSM論。変態は変態を知るかのような発言のたびに何ぞこれと思ったけど最終巻で吹っ切れてた。確かにラブコメ。
「女子攻兵」まるで駕籠真太郎がちょっとソフトになった(ちょっと?)かのような絵面だけど、内容自体はわかりやすい(わかりやすい?)。

わからん!!何言ってるのかさっぱりわからん!!!

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「令和のダラさん」
こっちの方が好みかも
人外と日常生活する系だけどなんか居心地いい

「シャンピリオンの魔女」
なぜか虚構新聞のとこで宣伝されてたので買ってみたけどいい感じ

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自身の意識の中に、対象の形象を取り込んだりしない、意識の中に無いから「無」形象知識論?

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note.com/hiruandondesu/n/n1241
無形象知識論がなぜ「無」形象知識論と呼ばれてるのかわからない…

「ダークギャザリング」
好きな題材だし面白い。でもあんまり好きになれない。そんな感じの漫画。
霊をある意味非常に即物的な存在として扱って悪霊バトルやるの独特でいい感じだし、そこがノリきれない部分でもある。

・無我というのは自己を消すことではない。自己は不変の霊とかじゃなく、他との関係性で成り立ってるものだ、とする見方? 自己を確立することは強く求められてる。
・五比丘への最初の説法で「(相手が)悟った!」と喜んでたのって、自説を理解された喜びだけで言ってない? そも初期においての悟りって、理論を理解して死ぬまで実践して穏やかな心を維持できれば良い、くらいの意味だったりしない? 後世にやたらハードル上がっただけで。
・後の方でキリスト教への対抗心を滔々と語ってるのだけど、東アジアの停滞と、ギリシャ哲学やキリスト教という土壌から生まれた近代的な価値観や現代科学とを見比べるとき、キリスト教を見下すようなこの立場は、なんだかなあと思う。たしかに仏教は殺生を禁じる。しかし国単位民族単位で見ると、それに何の意味があったというのか。
・「慈悲」。それが仏教の中でどう理屈付けられてるのか良くわからない。独り悟ることもできた釈迦が衆生を救うため説法を広める、それが仏教の慈悲なのか?
一切は苦であり、苦は執着により起こり、執着を滅すれば苦が消え、八正道の実践でそれを実現できる。八正道は善を行い悪を禁じるが、これ自体に合理的理由はあるのか?当時の穏健な道徳、または釈迦個人の人格に由来するものでしかなかったりしない?

続くかも

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「仏教の思想 知恵と慈悲〈ブッダ〉」一巻め
専門的知識ない人間が読んで気になった点や雑に思ったこと。
・釈迦の生きた前5世紀頃はプラトンや孔子と同時代にあって、大陸の東西で様々な思想が乱立していた。この頃の人類は、神々を祭祀し伝統的宗教の枠組みで世界を見ることに満足せず、権威を否定し、合理的な思考で世界を理解する方法を求めるようになったのかもしんない。
当時のインドにも、六師外道と呼ばれたように様々な思想家たちがいて、釈迦もまたその中から生まれた。彼らの思想を見ると、当時の論点と、仏教の相対的な位置がわかる。
たとえば無常に対しては、常(不滅の霊魂)を語る他の思想があった。
因果や縁起に対しては、価値判断抜きに因果を全面肯定する宿命論や、善悪による応報を否定する無道徳思想があった。
仏教が無常無我を唱えたのは、他のとこが常や我について語ってたからなのかも。
・中国においては仏典のうち後期のものに釈迦の真意を見て高く評価してきたが、近代の仏教研究では、俗語をパーリ語で記録した初期仏典が釈迦に近い時代に書かれたもので、サンスクリット語による後期仏典は後の時代に書かれたものだとか。

雑用うだうだしてたら眠くなってしまった

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