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「言葉にすると逃げていく要素」を保持したままコミュニケーションができるようになればいいのだろうし、そうなると例えば、自分が時々考えている「分類や命名に寄って生物を捉えることの限界」とかも、名前をつけず、個ではなく連続体として物事を捉えられるようになるのかもしれない

ただ、それはもはや人間と言えるだろうか

よく考えたら、本州のヒグマも、失われたメガファウナと言えなくもないんだよな

そういえば、ブラキストン線付近は海水面の低下が起こっても陸地化することがなかったらしいが、ヒグマは更新世まで本州に分布していたらしい
泳いで渡ったんだろうか、というかどうして滅んだんだ
ヒトに滅ぼされるようには見えないし、ツキノワグマに滅ぼされたんだろうか

胡乱な話を続けるけれど、(自分はサル目のどのへんから昼行性が強くなるのか知らないが)哺乳類が夜の民なら、我々ヒト含むサルの一部は、夜を捨てた裏切り者とか、夜を追われたグループと表現できるのかもしれないな
特にヒトは、明かりがないとまともに夜間活動ができないわけだし

胡乱な話だが、比喩として光が明るければ影が濃く見えて、大抵はその影が実態のある大問題なのに対して、闇の中で見える光は明るく見えても頼りなくて、大抵儚く消えてしまうのあまりにも非対称的な気がする
仮説によっては生命は深海で生まれたし、我々は哺乳類だから夜が本分とも言えるのだが

ゾウは相手によって声色を変える!?
それは逆に面白いな
ちょっとしたアイデアになりそう
「周波数を絶妙に変えることで相手と自分以外の個体には内容を把握できない個人チャットのような会話があり、それが伝言ゲームのように連なったのがゾウの社会である」みたいな創作設定とか

ティラノサウルス、もしあの前足で物を掴んだりできたのならちょっと気になるのが視界との位置関係な気がする
目があの位置だったら前足は見えるんだろうか?
見えるならたぶんヒトとは大きく違う見え方になりそう
あと、仮定に仮定を重ねるが、もし見えなくって物を掴んだりできたのなら触覚が敏感だったりしたんだろうか

家畜やペットの座にロボットやAIが成り代わることも考えられるのだろうか?
コミュニケーションの不可能性による、異種としての振る舞いを人が求めなくなり、人の言うことを聞き、ものによっては人に寄り添うことを追求するなら

そういえば、他種の動物は別種の動物の個体を見分けられるのだろうか?

以前、玖馬巌さんが書かれた短編では、クローン同士やオリジナルとでは、遺伝子が同一でも別の存在であるという事実を、表現型可塑性と交えて論じていたけれど
それではスワンプマンのような、肉体的には完全に同一の存在もまた、表現型可塑性のように、別人としての振る舞いをするのではなかろうか

うまく表現できないが、同じ情報でも表現型として確立した瞬間から、同じ位置から落としても周辺の状況によって落ちる位置が変わるように、シミュレーションの難しい、可塑的な運命が起こりうるのでは
という胡乱な考え

津久井五月さんがnoteに投稿された短編「川田さんの遺書」を読了
近所の老人の死から始まって、少女が成長し、世界の解像度を増し、仄かな苦しみや迷いを抱えるのを、老人に関わる不思議な物体を交えて書かれた青春譚
内心で世界の解像度を上げるくだりの鮮やかさが印象的
note.com/tsukkuny/n/nfdcc7576f

津久井五月さんがいきなりPixivFanboxに投稿された、「ラスト・サパー・アンド・ファースト・サマー」を読了
都市機能含むほぼ全てを仮想空間に写した世界
仮想空間に移住する前に「製造」される子供達と、それでもそこにポリシーを持つ老いたシェフ
その最終夜のディナーの物語

今まで見てきた津久井さんの作品群にはあまりない、何処と無く容赦の無い大人っぽさ、成長の残酷さ、拗れた関係が強調された、希望が待っているはずなのに無常感を覚える作品だった
これは自分も好きな作品かも
仮想空間に移住する題材でよく疑問に思う「住民はどこから?」にも焦点が当たっていた

あと、これまで津久井さんは、分子料理、自分で栽培した野菜、昆虫などを用いた独創料理などを描写されてきたが、ここまで精密で、感情を喚起させるような料理の描写を見たのは初めてだ
ひょっとして料理テーマも得意なのでは、と思うレベル
というわけで、終末世界のディナーを見たい方、おすすめです

リンクはこちら

tsukkuny.fanbox.cc/posts/80642

これだから政治にかまけた相手は苦手なんだ

もう右も左も自分が好きな事物の方向いてくれない身としては右翼とか左翼とかどーでもいい
勝手に罵り合っててくれればいいんだけれども、こっちに飛び火して「環境保全は右だ左だ」なんてラベリングされて政治ゲームのおもちゃになるのは本当に本当に困る

うわ、勘弁して、って事例が出てきた
散々バズったり炎上したりしてた人(表現の自由の理念をミソジニーと結びつけて台無しにした一人)が環境保全(森林の保全)にまで無理のある難癖を付けてきたらしいのだが…
表現の自由についてだけでなく環境保全方面も焼け野原にする気だろうか
本当に勘弁して欲しい

自分の不甲斐なさというか無神経さに頭を抱えている一方、言われてしまった「マジョリティ仕草」というのがどうにも頭に引っかかって取れない
一応、属性としてはマイノリティの面がある(ケモナーとかそういうのではなく)のだが、カミングアウトしたくないのでここでは明かしていない
自分はマジョリティの面からしか事物を見られないのなら、いっそマジョリティ側になってしまった方が楽なのかもしれない

最後に、津久井五月さんの「われらアルカディアにありき」読了…これは最後に読んで正解だったと思う
環境調整とエネルギー用の遺伝子操作家畜、という斬新なアイデアと、牧歌的に見えるその飼育事業の欺瞞、という話がどう転ぶのか、と思ったが、その顛末はあの絵の如く鮮やかでグロテスクだった
どうやら本作にはボツになったらしい「牛泥棒」の要素が入っているらしく、DMTRや善玉マイクロマシンなど、随所に以前読んだ「牛の王」との共通点が見られる
もし同じ世界設定となるのなら、このまま家畜とマイクロマシンによって変貌していく環境や社会が見てみたいものだ

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