(続)
「しかも経済上の真理は更にこう付言しています──この世の中というものは整頓した個人的事業、すなわち無事な上着が多ければ多いほど、ますます強固な社会的基礎が築かれ、同時に一般の福祉もますます完備されるわけだとね。かようなわけで、ただただ自分一個のために利益を獲得しながら、それによって万人のためにも獲得してやることになる。そして、隣人だってちぎれた上着よりは、多少ましなものを得ることができるようにと、心掛けております。しかも、それはもはや単なる個人的慈善のためじゃなくて、社会全般の進歩によるのですからな。(略)」
なんやら、今のわしらの社会のようでもあるなあと思い、また、なーんか見覚えあるなと思ってさっきごにょごにょ調べていたら、
「ただただ自分一個のために利益を獲得しながら、それによって万人のためにも獲得してやることになる」
これ、『国富論』の「見えざる手」かー、と気がつきました。読んでないよ。芋づる式に検索してわかった。そのうち読むべ。
ルージンの世界は『国富論』からおよそ90年後だそうな。末期帝政下の成金はこんなか。
ルージンはこの台詞のあとラスコーリニコフの学友にさんざん馬鹿にされ、ラスコーリニコフには怒鳴られていったん退散するのが情けなくて良い。来週の一章がまた楽しみです。
『罪と罰』の前に『吾輩は猫である』を読んでいたせいで、どうしても成金ルージンがあの金田に重なる。ルージンも子分に手間賃をやって垣根の外でラスコーリニコフの悪口を言わせたりするかしらん