最近、週に一度オンラインで集まって『罪と罰』を一章くらい輪読するという悠長な遊びをしている。楽しい。
昨日読んだところでは、ラスコーリニコフの妹の婚約者、鼻持ちならない成金のルージンが語る1860年代ロシア社会の進歩論に興味を引かれた。
「(略)たとえば、今日まで『隣人を愛せよ』と言われておりましたが、もしわたしがやたらに他人を愛したとすれば、その結果はどうなったでしょう?」
「その結果は、わたしが上着を二つに裂いて隣人に分けてやる、そして二人とも裸になってしまうのです。つまりロシアのことわざでいう『二兎を逐うものは一兎をも得ず』というあれですな。ところが科学はこういいます──まず第一におのれ一人のみを愛せよ、なんとなれば、この世のいっさいは個人的利益に基づけばなり。おのれ一人のみを愛すれば、おのが業務をも適宜に処理するを得、かつ上着も無事なるを得ん、とこうです。」
(続)
(続)
「しかも経済上の真理は更にこう付言しています──この世の中というものは整頓した個人的事業、すなわち無事な上着が多ければ多いほど、ますます強固な社会的基礎が築かれ、同時に一般の福祉もますます完備されるわけだとね。かようなわけで、ただただ自分一個のために利益を獲得しながら、それによって万人のためにも獲得してやることになる。そして、隣人だってちぎれた上着よりは、多少ましなものを得ることができるようにと、心掛けております。しかも、それはもはや単なる個人的慈善のためじゃなくて、社会全般の進歩によるのですからな。(略)」
なんやら、今のわしらの社会のようでもあるなあと思い、また、なーんか見覚えあるなと思ってさっきごにょごにょ調べていたら、
「ただただ自分一個のために利益を獲得しながら、それによって万人のためにも獲得してやることになる」
これ、『国富論』の「見えざる手」かー、と気がつきました。読んでないよ。芋づる式に検索してわかった。そのうち読むべ。
ルージンの世界は『国富論』からおよそ90年後だそうな。末期帝政下の成金はこんなか。
ルージンはこの台詞のあとラスコーリニコフの学友にさんざん馬鹿にされ、ラスコーリニコフには怒鳴られていったん退散するのが情けなくて良い。来週の一章がまた楽しみです。