本日発売になる『角川 短歌年鑑 令和7年版』の特別座談会において、平岡直子さんに私の歌を一首引いていただきました。
馬のこと…の歌は、「歌に対する技巧的な試行錯誤」は何もなく、すぽっと生まれてきた歌ですが、それに到るまでの生き方に屈託があるからこそ出てきたような気がいたします。並み居る強豪歌人と列んで「九野川」の名があるのは不思議な感じがしますが、引いてもらった歌の方には、それだけの力はあると思っていました。
それはそれとして、あの一首は歌会に出したこともなく、新聞短歌の為の書き下ろしだったので、撰者の水原さんの言葉以外に、殆ど評を貰ったことがありませんでした。平岡さんや小島さん達がどのように読まれたか、を読むにつけ、なるほど私が歌会でも何でも、求めるものは評なのだな、と尽くづく感じました。どのようなイメージを喚起され、どのように分からなかったかを語る。そのことで、言葉の世界の彩りを拓いていく。私のなかの何かも開いていく。私は、何度でも生きられる。
「なぜ題詠だと思ったんだろう」と思ったら、前回の資料に「自由詠」と誤記されていたのが記憶の片隅に遺ってしまっていたこともあるけど、一番の原因はふわふわの腹巻をしているから、体中ほくほくして頭にキノコが生えてしまったことだと思うんだよね、僕は。
そういえば…まだ今回の題詠のお題を知らないな……
源氏物語について「世界最古の女性による長編小説の一つ」「きちんとした構想に基づいた小説」という言葉を見かけて…一瞬で「小説の定義とは何か(大説に対する小説の定義でなく、議題として扱うときにどのように定義するのかという問題)」「源氏物語の作者は紫式部だろうか」「源氏物語に〈構想〉なるものが一般性を持った議論に堪えうるだろうか」という問題が浮かんでしまうくらいには、国文学科卒の片鱗はあるのだが、このうち一番世に識られていないのは〈構想〉の問題だろうな。そもそも「初めに書かれた物語は「桐壷」ではない」ということもよく言われていて、「夕顔」などのスピンオフ的な作品の直後の「若紫」から本筋が始まるようなところもあるし、「かかやくひのみや」という巻の存在についても色々言われていて、その構造からみても一律の「構想」を持って書かれたとは考えづらい。あるとしたら、いきあたりばったりの「こういう風にかいてみようかな」という靄のような思いつきであって、物語の終わりが何となく見えている「構想」とは違うように思う。ということを考えると、小説を定義するときに「構想を持って書かれたもの」とするのは、果たして要件にするべきだろうか?書き終わってしまえば〈構造〉は与えられるが、〈構想〉は作者の存在と癒合している。さて……
オイスターとともに炒められる歌人。