フランスで巻き起こっている年金「改悪」ストについて、日本のメディアでは「ゴミ」収集で市民が迷惑している、という点に絞って報道しているようだ。
これは何重にも誤った視点。
デモ・ストは、今回の場合年金「改悪」に関する交渉を政府側が決裂させ、あまつさえ議会での手続き的にも「禁じ手」を使った結果。であるから、デモ・ストの責任は主に政府側にある。
交渉が決裂した場合、デモやストは当然の権利として認められている。そしてデモ・ストが社会に何の「迷惑」もかけない=影響力をもたない、ものだとしたら、それは何の交渉力ももたない。
さらに重要なのは、市民も同時に労働者であり、年金に関しては全国民が当事者であること。
であるから、今回のデモ・ストに対しても市民の支持は圧倒的に高い。私が在仏の頃も現金輸送車の運転手のストがあり、ATMに長蛇の列が並んだが、それでもストへの支持の方が圧倒的だった。
日本ほど80代の消費社会化以降、「自己」を「消費者」として主体化させることに成功している国はない。「消費者は王様」を内面化した世代、まさに「スキゾ・キッズ」。
しかし「労働」なしに「消費」できる者、人口の極小部分のまさに「不労所得者」だけ。
労働者の権利の縮減は、結局「市民」の生存の権利の剥奪へと繋がるのです。