モンゴルに行くにあたって寒さ対策でモンベルの黒いシャミースジャケット( https://webshop.montbell.jp/sp/goods/disp.php?product_id=1104987) を買ったのだけど、なんというか僕の理想とするセルフイメージにぴったりで、ずっと着てしまっている。
普段は派手な色彩の服や柄を好むくせに、ここにきてシンプルさに打たれてしまった。
Twitterを見る機会が減ったせいで(?)、魔界のニュースについて今はじめて知った。
これをずっと知らなかったのちょっと悔しいけど、逆にいま知れてよかった。
https://evil-news.golog.jp/
久しぶりにネマノさんのブログを読んだら、Balatroの中毒性について書いた記事がめちゃくちゃおもしろかった。
https://proxia.hateblo.jp/entry/2024/03/18/072602
記事後半の「ゲームに技術介入の余地があるのにプレイヤーが技術的に向上しようとしないためにゲームがギャンブル化する」というのは痛いほど分かる。いまだにデュエル・マスターズ プレイスをちょくちょくプレイしてるのだけど、ちゃんと脳みそ使って考えてプレイできるときとそうでない時でゲーム体験が全く違う。
ただ、技術的な向上のみがゲームを楽しくするかというとたぶんそうでもなくて、創造的な楽しみ方はたぶん他にも色々あるのよね。ただ、僕のように創造性の欠けた人間は敷かれたレールを走りたがるというか、用意された最適解を繰り返し選択することで一定気持ちよくなってしまう。それこそちょっとした「ゾーン」に入れるので。
だから、真に良くないのはいわゆる「安定択を擦る」ことなのではないか、とも思う。特に一人でプレイするゲームにおいて。
これが対人ゲームになると、安定択を擦るのは、ランキングだとか大会の成績だとか、よりメタな次元のゲームのための行動なので、それほど不健康ではなくなったりもするのでややこしい。
本多勝一の『日本語の作文技術』の話題が流れてきた。
社会人になって最初の上司に「あなたの日本語は太平洋くらい伸びしろがある」と言われて、慌てて買って読んだ思い出深い本。
ひとつひとつの作文技術以上に、文章を書く上では表面的な個性を消したほうがいいという、スタンス的な部分で学びが多かった(本多勝一がそのような主張を本の中で明確していたかというと、実はしていなかった気もするのだけど、とにかく僕はそのように受け取った)。
後に、その上司が全く本を読まない人だと判明したのもおもしろかった。まさかそれなりに本を読んできた自分が本を読まない人に文章について厳しい指摘をされるとは思いもしてなかったのだけど、でもあの指摘は全く正しかった。
マッドマックス:フュリオサ
『マッドマックス:フュリオサ』見た。うぉー、とんでもない映像見たぜ!という感覚は前作に若干劣るものの、主人公を中心とした語りはより神話めいていて、本気で英雄譚をやろうとした印象を受ける。
イベントA→イベントAを受けた主人公の心情の変化、それに伴う行動Aを→行動Aの帰結としてイベントB→… というような物語の構造が明快で、テンポも非常に良く、前作の巻き込まれ系主人公よりも、しっかり主人公の意思によって物語が進行している。まあ、むしろ前作は巻き込まれ系だからこそアトラクション的な楽しみがあって、ピュアなアクションを楽しみやすかった、というのはあるのかも。
セルフオマージュも盛り盛りで、楽しい映画でした。
主に映画や本、音楽、ゲームなどについて書くアカウントにしたいと思っている。