#日記
令和4年11月26日(土)雨のち曇り。
来客があったのでせわしない印象はあったものの、ベースとしては楽しい日だった。インターネット関連の楽しさが妙に増している時期なので(観測範囲が拡大してワクワクしている感じがある)、そこに触れる時間があまりなかったのが残念ではあった。別に今日やらねばならないことではないので、そうあせらなくてもよいのではとは思う。あせる癖というか我慢がきかずに欲にすぐ流される癖がある。欲に流されたほうがむしろよいのではという世界観がそもそもある感覚だったりもする。我慢と制御を混同している(と言いつつここでも綿密な定義づけを考えていないけれど)という見方もできそうである。
音声で本を読むオーディブルを最近は活用している。少しずつだが『横浜駅SF』『三体』『世界史の考え方』を読んだ(聴いた)。読書に対して「聴いた」が出てくる違和感すごいな。本を耳で聞くとどうなるんだろうという興味はある。読解力がどう変わるか予想がつかない。Podcastも聴くことが増えていて、じゅうぶん理解しながら納得したり理解したりできているので、同じようなことができるんだろうか。小説とかだと描写からの情景の想像の流れがどうなるんだろうか。まああんまり深掘りしないで今のところ聴けている。いずれ自己分析しよう。
私もTwitterが公式の機能をつける前にクライアントにQTをつけていたけど、その害悪は当時から語られていたよ。
当時のアプリはAPIの利用回数制限のために引用文を表示していなかったけど、Twitterの公式が引用文を中に表示する形になった時は驚いた。
コメント付きのRTはの発言の文脈を乗っ取る一方的なコミュニケーションだ。紹介のために使われることも多かったし、会話の代わりに使う人もいたけれど、当時から冷やかすために使われていることの方がずっと多かったからね。
コメント付きRTは犬笛だ。
きっとマストドンにも搭載されるだろうけど、少しでも攻撃性の少ない実装になることを希望する。
https://www.buzzfeed.com/jp/alexkantrowitz/how-the-retweet-ruined-the-internet-1
例によってちょっと昔話をしますが、
パソコン通信と草の根BBSから急激にインターネットに移行した頃、コミュニティが消えてしまったことがあるんですよ。
World Wide Webってんで、個人でホームページを持って、世界と繋がれるっていうことで、皆で個人ページを作った。
お一人様に分散している状況に似ています。
(どこが同じで、どこが違うか、掘りさげると意味がでてきます)
つながりがなかったんで、相互リンクページを作った。フォローとフォロワーみたいなもんで、フォロー先を辿って、新しいページを見つけたわけです。
あと、CGIで掲示板を作った。個人ページのミニコミュニティです。
そのうち、Yahoo!などのディレクトリ登録して検索できるサービスが出てきた。ジャンルとページ名とURL、キーワードと説明のようなものが人力でまとめられていきました。
端折る。googleなどのクロール型の検索エンジンが出てきました。
登録するとランダムでリンク先に飛ぶのもありました。リング。ちょっと違うけどリレーに近いかな。
で、mixiのようなコミュニティが再登場します。
パソコン通信(草の根BBS)とか、mixiとかテキストサイトとか初期Twitterの雰囲気とか、いろいろ振り返られるけど、やっぱりそれぞれ愉しい感じがあった。マストドンもそれに類する独自の楽しさがあるし、なんだかんだで今のTwitterも振り返ったらそういう感じになるんだろう(いいところばっかり思い出されることにはなるし#fedibird
#インターネット老人会
テキスト庵側の所属意識だったので、Readme!側のひとたちを、にがにがしく思っておりました
#日記
2022年11月25日金曜日。晴れ。
水曜日が祝日だったので比較的さくさく終わった一週間だった(印象論)。今日は早めに目覚めてしまって、かなり眠かった。最近はなんとなくコミュニティとかイベントに対する積極性のことを考えている。活動しないと何も動かないなとさすがに感じる。文学フリマとマストドンが楽しげだった影響があるかな。
Amazonブラックフライデーセールでは、lightningとTypeCを含むマルチケーブルを買った。使用率めちゃくちゃ高いからだ。あとハンディクリーナーと加湿器。そしてモニタ付きのAlexa。Alexaは先行き不安な話も見かけるがとりあえず活用している。
通勤のあいだはPodcastを聞いた。みんラボ(第20回)とTWOSHOT(11/21回)がたいへん面白かった。ある程度の尊敬度を感じた相手のざっくばらんってめちゃくちゃ楽しいという経験則があるけど、実際だと最近はあまり感じる機会がない。若い頃のほうが出会いも尊敬もさっくばらんな飲み会もあったな…。ああいうノリも味わいたい。年齢で経験の種類が変わってくのあんまり好きじゃないなあ。好き勝手に選びたい。
PeerTubeは、Fediverse / 分散SNS版のYouTubeです。
TwitterとMastodonの違いについても、まだ馴染みのない方も多いと思いますが、
YouTubeとPeerTubeも、これによく似た考え方の違いがあります。
従来型のサービスは、Twitterも、YouTubeも、自社のサービスにできるだけたくさんの人を集め、どれだけ人気のある場所をつくるかが勝負どころとなっています。
人がたくさんいれば、さらに人は集まってきて、他のサービスより自分のサービスを選ぶようになるため、様々な方法で囲い込みをおこないます。
そして、そこに広告をのせ、どれだけたくさんの人に広告を表示できるか、ということが、収益につながっています。
しかし、そのことによって、巨大で、その場所以外に選択肢がないことで、回避できない問題がいくつも発生しています。
これを、たくさんの小さなサーバにわけ、十分に管理しやすい状態にした上で、お互いにつながりあって、巨大なサービスと同等の機能性を実現する仕組みが、PeerTubeやMastodonの、Fediverseのアプローチです。
みんなで同じハッシュタグタイムラインを使ってコミュニケーションする手法は一般的なものといえますが、
ローカルタイムラインをハッシュタグタイムラインに置き換えるという改造を行ったサーバがありまして、
これはローカルタイムラインに外部から参加できるようになるという画期的なものでした。
現在でも、ローカルタイムラインは原理的にそのサーバに所属する人しか投稿できないため、そこに参加したければアカウントを作成するしかなく、
どのサーバにアカウントを作ってもお互いに交流ができて同じ体験が得られるというMastodonの特徴を制限してしまうところがあります。
Fedibirdの #fedibird ハッシュタグタイムラインは、この考え方の影響を強く受けています。
パソコン通信時代の良さも、テキストサイト時代の良さもたしかにあったと思っている。またああいう遊び方ができたらなとも思う。思い出を美化している部分も当然ありそう、とは思うのだけど、わざわざ「美化」なんていうほど捏造してもいないんじゃないか、というのが私見だ。あの頃にはあの頃の独自の(またあそこで遊びたいと思わせるだけの)楽しさがあった。マイナーな趣味の場や閉鎖的な場に飛び込むと似たような空気が味わえたりもするのを知っているので、別にそれでよいという考え方もあるけれど、マストドンがそういう空気の足掛かりになってくれるというなら、それはそれでありがたい。長文が書けるのがウリとも聞いたので、Twitterとは異なる感覚で文章を連ねてみた。よい(読む側としてこんな文章ばかりがタイムラインを占めていたら、読みづらい、と感じるかもしれないが、しかし、ミニエッセイみたいなものがずっと流れ続けるタイムラインというのも、乙なものではないか、って予感もする。そういう文化は経験がない(と書いてみたけど、冷静に考えたら、これまでのSNSでなにか経験はあるかもしれない)(Twitter亜種もちょこちょこあったし)