森山至貴『LGBTを読みとく ─クィア・スタディーズ入門 』(ちくま新書)読了。本書はセクシュアル・マイノリティやそれを対象としたクィア・スタディーズの簡潔に解りやすく書かれた入門書だ。解りやすいからこそ、セクシュアル・マイノリティの複雑的現状や困難が痛いほど伝わる。入門と題されているが、重厚で巨大な鉄門の前に立っている気分になってします。が、だからこそ常に学び続けなければならないし、常に正確な思考が必要とされ、言動に移さなければならないと確信した。

ジュディス・バトラーを読むためにジャック・ラカンの入門書を読んでいる。ラカン、言ってることに共感する部分と拒絶感が混じりあってて、その拒絶感が伏線になって精神分析学を批判していくんだろうな。と、バトルマンガものみたいに楽しんでる。

千葉雅也『現代思想入門』を読んでから「ポストポダン」という言葉について調べたり考えたりしてる。どうも、フランス現代思想と括られている哲学者で自身を「ポストモダニスト」と括られるのを嫌がったのが多数だとか。と、すると今まで自分が「ポストモダン」を蛇蝎のように接してたのは、ある種の藁人形だったのかもしれない。あと、本書で、ポスト構造主義(≒ポストモダン思想)は古典化している、とあった。だとしたら、フランシス・ベーコンの四つのイドラがバイアスと通じることがあるように、現代科学と通じる部分が「ポストモダン」にも現れるかもしれない。  

『現代思想入門』を読んで、哲学の難しさを思い知らされた。本文の難解さはもちろんだが他の部分にも疑問は尽きない。
①簡単にまとめられるのに敢えて難解な文章にしてるのは、自分の考えを簡単に開陳したくない「有害な男性性」が原因の一つになってるのでは。
②ポスト・ポスト構造主義として数学を軸にした思弁的実在論にしても、自然科学のエピデンスに基づいた自然主義哲学にしても、ヨーロッパ中心主義や男性中心主義を拭えるのか。(参照『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か』)
③哲学が人類の普遍的営みなら、当然ヨーロッパ以外の地域でも哲学があり哲学史が編纂されるべきだが、思想や思想史で括られる。哲学が古代ギリシャに端を発したローカルな思想体系と認めないなら、非欧州圏の知的営みを哲学として再編纂し同一性と差異を比較すべきでは。(中島隆博『中国哲学史』参照)
④現在、世界史が欧州中心的だと批判され見直されている。その一つの方法としてグローバルヒストリーがある。グローバルヒストリーに基づいた哲学はあるのか。

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千葉雅也『現代思想入門』(講談社現代新書)読了。デリダ、ドゥルーズ、フーコーを軸にポスト構造主義思想を解説している。ジュティス・バトラーを読むためにオススメされていたので読んだが、他者や差異の辺りは意外と親近感があり興味深く読めた。
ただ、全体を通して「近代」を過剰に重要視していてヨーロッパ中心的で鼻につく。内容も仏典や老荘とかぶる印象があるから余計にヨーロッパ中心主義に無自覚なところが気になる。

ミア・カンキマキさん、あなたの初作『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』を読みました。あなたが清少納言に語りかける形でこの本を書いたように、僕もこの本の感想をあなたに語る形で書きます。それがあなたと清少納言への最大のリスペクトだと思いますので。
正直、僕はあなたがうらやましいです。あなたのように何年も一人の人物に興味を持って考えて探求しつづけて、言葉も解らないのに異国の地へ行き勉学をするなんて、とてもできません。僕は飽きっぽいのです。一人の人物や一つのテーマに没頭することはあっても2~3か月、もって1年弱が限界。だから、長い年月も清少納言に情熱が絶えなかったあなたが羨ましい。でも、その一方で勇気づけられもしました。勉強はいつでもなんの理由でもしていいんだ、って。あなたとは違う形で、でもあなたに勝るとも劣らない熱量でなんでも学び続けようと思います。あなたの第二作は未邦訳だけど第三作目も書いてると聞いて、読める日を心待ちにしてます。本当にこの本を世に送り出してありがとうございます。

チェ・スンボム『私は男でフェミニストです』(世界思想社)読了。男性のフェミニストとしてどう行動しどう思考するかを、自身の経験や時事問題、教師生活から通して著述している。著者が大学時代にフェミニズムを学んでる男性になんで学んでるか訳を尋ね、「男だからよくわからないんです、学ばないと」との返答に目が覚め、自分も学ばなければ、となった。そこが一番自分に刺さった。自分も著者がしてきたことの何分の一でも実践しようと志した。

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