"1日14時間くたくたになるまで働いているドライバーを介して買った物を手に入れるということが、持続可能と言えるのでしょうか? 自分で店に行って店主に話しかけることよりもよいシステムなのでしょうか? 家族や友人関係にまで影響を及ぼすプレッシャーのもとで人々が働いて人生を狭めるような世界を私たちは望んでいるのでしょうか? これは市場経済の崩壊ではなく、むしろ反対で、経費を節減し、利益を最大化する苛酷な競争によってもたらされる市場の論理的な発展です。市場の関心は、私たちの生活の質ではなく、金を儲けることです。"
https://www.moviecollection.jp/interview/26635/
このTootで紹介されてる映画監督に共感する。イタリアのトリノに住んでるとき、何が良かったかって、日常生活に会話があったこと。食べ物の買い出しやクリーニング屋さんが昔の日本みたいに、みな個人商店。「常連」になると、お喋りの時間も長くなる。笑。夫は米国で、イタリアは私だけのことが多かったけど、淋しくなかったのは、こういう「社会関係」のお陰。食料買い出しが「単なる経済行動」でなく、「社会的なやりとり」であることの心地よさ。
営利と「合理性」を追求した結果、個人商店はなくなり、チェーン店ばかりになり、殆どの人の生活の質が落ちてしまった。日本の場合は高齢化で後継者がいない為に廃業する件数も多いけれど、もともとは80年代後半からの大規模店舗への規制撤廃などから、個人商店への風向きが変わった為。米国政府も日本政府に規制撤廃せよ、と圧力かけていた。
一方で、米国の生活はほんとに寂しい。大多数の人達は巨大スーパーに車で行き、自らも機械のように「食らうもの」を巨大なカートに黙々とぶち込んでいく。黙って支払い、車に積んで帰る。教会に行く人が多いのは寂しい人が多いからだと思う。
@JapanProf 「自らも機械のように「食らうもの」を巨大なカートに黙々とぶち込んでいく」という表現、まさにその通りだなと首がもげるほど頷きました。アマゾンで買い物するのも同様で、無言に必要ないのにカートに入れて、要らないから返品みたいな人が多く、本当に見苦しいとつくづく思います。その裏で低賃金で働いてる人達の事を想像もせずに、大手のチェーン店で買い物する事は、私は好んでしたいと思いませんねえ。だからってshop localを徹底できるかと言うと、現実的にそれはかなり難しくジレンマでもあるのですがね。とにかくできるだけshop localはして行きたいと思ってます。