事務所を変わるわけじゃないのかとは思うけど。喜多川氏の名残を消していくだけでもまだ…。なかったことにして欲しいわけじゃなく。あの人の名前や名残りは功績じゃないから…。
少しでも離れて行って欲しい。私の親友がファンなので…触れないようにしてるけど……触れにくいんだよなぁこの話題本当にさぁ…。ジャニファンの多さは女として日本で育つと嫌というほど思い知るからな。
秋葉原についてから、私にしては珍しく電気街口で降りた。
アキバの夜景はきれいだなぁ(棒読み)。
#AKIBA #MastoShare https://bsky.app/profile/telmina.com/post/3le2bsvkuvc2j #Bluesky
森崎めぐみ『芸能界を変える たった一人から始まった働き方改革』(岩波新書)
芸能界のハラスメントや、労働法の枠外にあるなど構造的な問題を発信してこられた森崎さんの本。
私は配信などでしか存じ上げないけど、なんか感慨深い。
そういえば編み終わってました&使ってます。
ななめかごめ編みの腹巻き帽子(=ネックウォーマー)。
オモテ(左側)とウラ(右側)で表情が変わって面白い。
そんでフカフカでのび〜るの!
コットン混の糸なので外出時には寒いけど、
寝るときにつけるのにちょうどいい。
#マストドン手芸部
私の暴力観
暴力、そして性暴力に関しては被害者と加害者の間のどこかにすべてが見わたせる「中立公正」と言えるような視点があるわけではなく、被害者側に立って「どのようなことだったか」を探り、知り、暴力を認識するしか選択肢はないと思う。(加害者)の方から暴力は見えないから。(加害者)にとってはそれは常識に含まれることで、ちょっとしたゲームかもしれないし、教育やしつけかもしれない。いずれにしろ、それが暴力だと思っていないからおこなうし、くりかえす。一方、被害者が自身の被害を認識するまで時間がかかる場合もあるし、自分の身にふりかかったことを暴力として語れるかどうかもわからない。ただ、「被害を受けたんだ」と認識したらそこからはもう逃げられないわけで、支援者はその視点以外に立つ場所はない。その視点から見ると、あらゆる事件でほとんどの人は(加害者)の立場に立っている。だから暴力が見えない。その圧倒的な非対称性を描出できるのは被害者の視点に立ったときだけ。
大阪高裁
「求刑超えの懲役20年「重すぎて不当」 実子への性的虐待、高裁判断」
「過去の同種事件では(略)虐待の末の傷害致死罪でも16年が最長だと指摘。悪質性や常習性が際立っていても「類例を見ない」とまでは言いがたく」
今まで見逃されてきたから今回も、と言っているように感じる。
「類例をみない」わけではない、けっこうよくあること、になってる社会なことが問題なのに。
大阪高裁、地裁がよい判決を出すとひっくり返す傾向があると思う。
これも滋賀医大のもそうだし、
朝鮮学校の高校無償化への排除を訴えたのも地裁は「差別」と認定したのに高裁以降はダメだった。
ただ、それとは別に、懲役の長さがすなわち刑の重さなのかとか、長さがほんとうに性犯罪の無い社会に向かうのかとかも考え続けたい。
https://www.asahi.com/sp/articles/ASSDS1HMDSDSPTIL00CM.html
WE ARE NOT THINGS
成人済み/shipper/映画と映画館と映画感想が好きです
MMFR/TGM63✈/MK/JW/HK/MCU/D&D
トランス差別含む全ての差別に反対します
天皇制反対/家父長制反対/戦争反対