ビーガンフェスにはあまり惹かれるものが無かったから、むかーしからあるお茶屋さんで鶴舞公園伝統のビーガングルメ、木の芽田楽をキメた。これが美味しいだよ〜 縁台があるような古い食堂がアニメコスの人たちでにぎわってる。
「……けれども、私たちが『二人』になったという事実が、すべてを変えるのです。仕事が二倍だけ容易になるということではない、『不可能』だったことが『可能』になるのです」(ドーマル著 岸谷國士訳『類推の山』河出文庫版、43pより、『』の部分は訳書では傍点)
この箇所を読むたびに目頭が熱くなることを禁じ得ない。
主要人物のソゴル師が主人公の「私」に対して理解者が現れたと語る場面なのだが、自分の突飛な考えを理解してくれる人には現実にそうそう会えるものではない。ソゴル師にとって「私」はここではないどこかに共に歩む同志であり、初対面でもすでに強い絆と心強さを抱いたことだろう。
人生でそんな出会いがあれば、きっと幸せなことではないだろうか。
デート、型にとらわれることなく、二人で楽しい時間を過ごせたらそれで良いのにな。お店選びで人を試したりするような話が出るたびに悲しい気持ちになるな。
元配偶者は初デートで、予約してた中華料理店の隣のパン屋に入っていき、3つくらいパンを買ってお店の前で食べ始めたので、不安になった私が「えっと今からここの中華食べるんだよね?」と聞いたら、「うん、でも腹ペコだと味を正しく判断できないから、ある程度空腹を抑えておきたいんだ」と笑顔で言っていたのを覚えている。
たまたま近くの席にいた常連が頼んだ料理を「それそのままあの席に持ってって」と店員介してこっちに回して「それこの店で一番美味しいと思ってて、よかったら食べてほしい!」とか言ってくるのは嫌じゃないけど、見た目で腹ペコだと判断されて一度テーブルに置かれた料理を「これほとんど食べてなくて勿体ないからあげる」と寄越されるのは見知らぬ他人が一瞬でも箸つけたりその料理の上でおしゃべりしてたりしたものを食べたいとはあんま思わないしその勿体ない気持ちは自分自身で処理してほしいと思うから嫌だな
mastdonに移行してみました。
昨日よりも少しでも立派な自分になりたい。