『巣 徳島SFアンソロジー』を読了。
正直もっと何回も読みこまなきゃ完全に消化できないような面白さなんだけど、とりあえず感想を。
前川朋子さんの「新たなる旋回」は、うららかな昼の川辺りに現れた屋台の紅白幕のような、ふんわりとした異界の入り口から徳島の空を仰ぎ見れる、心洗われる写真集。
田丸まひるさんの「まるまる」は、湿った土から掘り返したダンゴムシが丸まった●の中こそが宇宙の本当の〈内側〉であり、外側にいる我々は靄のような存在……と思わせる、不安と温もりを短歌で切り取った作品。ダンゴムシの足が折りたたまって出来た「殺」の字にギュッと閉じ込められた世界への祈り。
小山田浩子さんの「なかみ」は、トコロテンで出来た快速列車に乗ってツルツル滑っていく車窓を眺めてるかのような勢いで物語が進む、話運びの上手さに痺れる凄すぎる作品。小説にこんな力があるなんて。全く理に適ってると認識しながら進む、夢の中のような展開。小山田さんの作品をもっと読まないと。
久保訓子さんの「川面」は、読み進めることで違和感の正体がじわじわと判っていくような、じっとりとしたマジックリアリズム。牛糞の臭いもチューインガムのレモン味もしっかり感じられる、何ひとつズレてない世界が堅牢に築きあげられてるのが物恐ろしさを増強させる。本作が一番好き。
田中槐さんの「三月のP」は校正で忙しい主人公のもとに宇宙人がフラリとやってくる軽やかな作品。相手の正体はぼんやりとしか判らないが「その程度の関係でもな!毎日楽しくやっててほしいと思う…それくらい人として普通だろ!?(by『チート付与魔術師』)」という善き気遣いに溢れてる。短歌も素敵。
高田友季子さんの「飾り房」は、徳島がすっかり寂れた近未来を舞台に、もはや過去へと引き返せない瞬間を描いた非常に重い作品。未来という濁流の中では押し潰されるしかない人間のやるせなさ。「母が年を取るのをやめれば、祐子はただ近づいていくしかなかった」の一文が鉄の鎖になって心に巻き付く。
竹内紘子さんの「セントローレンスの涙」は、ノラ猫が徳島の不思議の数々にモニモニされる愉快な作品。とはいっても不思議が全て裏で繋がっている!という陰謀論的な話ではなく、不思議同士がキャンプ場でばったり出逢って徳島弁で冗談を言い合ってるような、心にジンと広がる温もりが嬉しい。
なかむらあゆみさんの「ぼくはラジオリポーター」は〈そっとふみはずす〉の王道を行く、不思議の中に「やったじゃん!」って瞬間がたくさん詰まった心晴れやかな作品。しっかりした現実に根付いた〈キリッ〉と不思議の〈フワッ〉の緩急のつけかたが上手すぎる。ひょうたん島という名前からもう好き。