フランシス・アブード『子どもと偏見』。子どもの偏見は親のまねであると断じたり(社会反映論)、幼少の親子関係に起因するのだとしたり(権威主義研究)する既存の諸理論による説明が不十分であることを指摘し、ピアジェの社会的認知発達理論をアブードが修正した議論に基づいて説明を試みる。原書は1988年(翻訳は2005年)なのでこれらの研究が今どこまで進んでいるか知りたいところ
だが多くの理由から、学校介入プログラムは望ましい。ここで指摘したいのは、偏見を減らすことを目的とする教育プログラムである。これは、人種差別をしない学校プログラムとはまったく別の問題である。第一に、偏見は4歳から7歳の白人の子どもあいだ(原文ママ)に、(そして、おそらくマイノリティ集団の子どもたちの、他のマイノリティ集団の子どもに対する態度のなかにも)広まっているように思われる。第二に、7歳になると子どもたちは認知的に偏見を少なくすることができるようになりはじめるけれども、かれらは、偏見を持った親や友達の影響を受けることを選択するかもしれないし、また、新しく発達してきた彼らの認知能力を活用させる情報に触れる機会がないかもしれない。もし子どもが、エスニック集団についての適切な情報を用いて彼らの新しい認知能力を訓練するチャンスを与えられなければ、この貴重な機会を逃してしまうであろう。」フランシス・アブード著、栗原孝、杉田明宏、小峰直史訳『子どもと偏見』ハーベスト社、2005年、p185-186
子どもの偏見は大人に責任があるんだとする発言をTwitterで見かけたので本当にそうなのかと思って読んでみたが、最後の「教育者への覚書」は子どもを持つ親にとっていささか心荷を下ろすものになろうか。
「人びとはしばしば子どもの偏見について親を責める。彼らは親が偏見を持っていて、その態度を子どもたちに教え込むと決めてかかっている。これは正当ではない。7歳以前の子どもたちは、親の態度を受け入れることはないし、しばしば親よりも偏見を持っている。7歳を過ぎた子どもたちは、親から影響を受けるけれども、親だけから影響を受けるのではない。他の要因も子どもたちの態度を形づくるのである。しかし、ほとんどの親は、子の偏見の責任が親にあるという非難が不当であることに気づいておらず、自分の子どもが偏見を持っているようだという指摘に、ひどく敏感になっている。そのため彼らは、子どもの態度を調べるどのような試みにも、偏見を減らそうとするいかなる介入にも、反対しようとする傾向を持つ。