佐々木敦の浅い選挙分析みたいな言説には乗りません
> おしなべて、右はざっくりと繋がり、左は細部で揉める。60年代の学生運動からずっと同じ。
それは受験エリーティズムとも関係がある。
> それは、アイツよりも3点上だった!などといった試験文化の賜物でもある。
更に最近はそこに、ナゾなヒロイズムのようなものが纏わりついているからどうしようもない。
そうしてる間に向こうはアバウトに大連合を組んでいる。
こんなあっさい分析しかできなくて学者として恥ずかしくないのかよ!そもそもこのような分析自体がエリーティズムとやらの枠内に止まるものでないのかよ!というツッコミは置いておくとしても、いわゆる「新しい社会運動」以後の日本の社会運動の語られ方がひどく一面的で紋切り型なのはどういうことなのだろうか。つまるところ、社会運動を真剣に考えようという試みが学者の間で廃れているということだろうか。そうだとすればサルトルの言うように学者というものは寄生階級でしかないことになるだろうが。
>問題は特に若い層(と言っても選挙権を持ってるのだから子供じゃないはずだが)が「手法」を「内容」より重視してしまうこと、いや「手法」を「内容」と同一視してしまうことだ。彼らは「こんなにTikTokやYouTubeに出てくるのだから大した人なんだ」と思ってしまう。人気で話題なんだと思ってしまう。
「若い層」を任意の世代に、「TikTokやYouTube」にテレビやラジオを代入しても同じことが言える。代替可能な言説は分析として不十分であると同時に佐々木の偏見や差別意識を正当化している点で問題を含む。
> 小池が何をやらなかったかも、石丸が何をやったかも知らぬまま、どちらかに入れた人もかなりいたはずだ。何故ならば、まともに考えたならば、知っていたら入れるわけがないと思うからだ。
だからやはり情報戦、何を流布し何を隠蔽するか、ほとんどそれだけで決まってしまったのではないかと思う。
大衆に対する差別意識の他に問題なのは、大衆の極右化を理解できていないこと。また、誰が誰の利害を代表しているかという代表=表象の関係に対する分析が足りない。