Twitter ってよくも悪くも超巨大なメガホンで、声が小さい人はこれがあると世の中に声を響かせることができるけど、この同じ装置をつかって活動家がプロパガンダを注入することができる。この装置を通して運動が展開していくそのおなじ仕組みをつかってネガティブキャンペーンを形成することができる。
こういう性格はイーロン・マスクを追い出してどうこうなるようなものではなくて、彼は悪くなるのを加速しているだけだとおもう。
検索とRTが Twitter という道具の性格をつくりだしている。検索によってどこからどんな場所にもメッセージを即時に届けることができるようになるし、RTによってメッセージを無限に増幅することができる。これがメガホンとしての性格を作りあげている。
自分はこれ核爆弾とおなじくらい狂気の技術なんじゃないかとおもっていて、これがなくなることによる損失はあきらかにあるけど、そもそもこんなものコントロールできないとおもう。
Twitterが2chになってるっていうのはほんとにめっちゃわかるんだよな……「これ、ほんとにおもしろいと思ってRTしてんの?」とか「それもう10年前から転載アカウントって言われてるものなのにリテラシーねえのか」みたいなのにもよくぶち当たるし得てして思春期~青年期にネット環境があったがために2ちゃんねるを見てあそこにあるミソジニーに迎合してしまったりふんわりと流れている大日本帝国軍バンザイみたいな空気に気づかないまま染まった30代以降くらいが多いんだけど、「オタクだったら面白いだろ?水挿して顔真っ赤wwww本気にすんなよネタだろ」みたいな、自分が間違っていると思いたくない羞恥と、権力者(2ならひろゆきだし、鳥ならイーロンだと思う)が用意した場でインプレッションの多い話題を一緒に嘲笑している自分は理性的で理論的で多数派であるみたいな思い込み?うまく言えないけど そういうの感じる
最近、思っていることを少し。
私はITジャーナリストでして、技術やビジネスの出来事を合理的に説明する仕事を長年にわたり続けてきました。「技術で世の中が豊かになり前進する」という信念を、けっこう長く持ち続けてきました。
ただ、最近は、ちょっと別の考え方を持っています。
1点目。ビッグテック企業(Google、Meta、Amazonのような企業ですね)が社会的影響力を持ちすぎた。テック企業をシンプルに応援できる時代は終わり、むしろ批判的な視線が必要な世の中になりました。
2点目。世の中には合理性ではなく、むしろ非合理性を観察して語るべき対象があります。米国ではトランプ氏、Qアノン、白人至上主義者など。日本では外国人やLGBTへのヘイトスピーチが極右政治家や一部言論人から出ています。カルト集団も健在です。差別を好み、社会の分断を助長しようとする集団が台頭しています。
例えばイーロン・マスク氏支配下のTwitter改めX社は、特異な存在です。合理的なテック企業として理解することはもはや困難。異常なリーダーに支配された非合理的な集団として捉えないと理解できないと見ています。
被差別属性のマイノリティならば差別や抑圧、暴力に加担しないならばこんなに単純明快で助かる事はないんだが、現実はそうじゃないからなあ。「人間なんてどの立場でも等しく糞なんだから開き直って露悪的に生きよう、それが真の(そして現実的な)寛容なんだ」という立ち位置が一番楽なのも理解は出来る。俺はそうはなりたくないが。
となると、ウケない投稿、バズらない投稿によってでしか抵抗は成り立たないとも言えるかもしれない。Twitter=2ちゃんねる的掲示板の文化を意図的に無視した振る舞い、それが必要になるということ。もちろんそれはなかなか結果に繋がらない。だから心が折れる。そして安易な方法に頼る。そういうのはもうやめよう。Twitterを使うことでできる抵抗は、目に見える結果を求めてやってはならない。いいねやRTという報酬による快楽によって投稿意欲が増されるのもまた、2ちゃんねる的掲示板文化のひとつだから。そこには乗らない。ウケなくていい。とにかく水を差せ。慎重に、粗雑さを可能な限り排した言葉や態度で、ウケ狙いの文化に水を差し続けろ。
問題は、2ちゃんねる的なものが陽の当たる場所で活動できてしまっているということなので。かつては2ちゃんねる的な場所でしか大手を振ってできなかった振る舞いが、むしろメインストリームであるかのように存在できるのがTwitterなのだと思う。
これはどのSNSも同じなのだろうけど、そもそもミーム的なものが生成され、それがいろいろな物事に「雑に」応用できてしまう、その事象自体が2ちゃんねる的な気がするのだけど、どうなんだろうか。ウケのいい言葉、という器に物事をひょいと放り込んでいく感じ。そこには慎重さは不要であり、むしろある程度の粗雑さこそが必要とされる。
つまり「バズり」だ。「ウケる」ことを優先し、慎重になることを避けてしまうありかた。それを皆が無自覚に追求してしまっているのだから、マスクがいなくてもすでに2ちゃんねる的な掲示板文化は育まれていたのだろう。
Twitter、いまはもう「これは言っておかねばならないな」ということだけ言いにいく場所に少なくとも個人アカウントはなっていて、お店アカウントのほうが問題だったりする。でもさすがにもうその時期は近づいているように思える。
とはいえ。とはいえである。
結局のところ、現時点ではTwitterがもはや2ちゃんねると化しているということに気がつかないまま使っている人が大多数であり、そうである以上そこにある程度関与をしていかないと「なんもわからんまま2ちゃんねる化した空気を吸い続ける」人がなんの抵抗もなく増え続けてしまう。となると、Twitterはもはやまともではない(使うべきではない)ということを周知させつつ、みなで徐々にソフトランディングしていかないといけない。だから、環境把握がうまくできている者のみがさらっと退避することには、どうしても恐ろしさを感じてしまう。
いっそのことマスクがもっとクソな環境(主にシステム面で)にしてくれれば、シンプルに「使いにくい」という理由でユーザーが離れてくれるので、むしろそのほうがいいのかもしれない。
炎上商法をやろうと思ってやってる人達に対しては同情をしない事にしている。
人質のような愛。
質問箱やってます。
https://peing.net/ja/attheblacklodge