「LIVING」を見たけどオリジナル版を見てなかったので「生きる」を見ました。
志村 喬のすがるような(いやまさに)眼力がものすごく意図を込めて映されている映画だった。
「LIVING」が、紳士になりたかったと語った男の去り際の、美しい(紳士たれと願った)身仕舞いの話だったとするなら、「生きる」はより、いわゆる「お役所仕事」への批判の色が濃く、またあんなに可愛がって育てた一人息子だって結婚して世帯をもったらもはや他人、みたいなシニカルさがつよく、だからこそ主人公の最後の行いが美しく見えるという話で。
どちらがいいとかではないけど、エピソードや全体の構成までかなり似てる、ようでいてやっぱり違う映画だったんだなぁとしみじみした。
まあオリジナルを見てしまうと、Livingは「きれいすぎる」と言う人はいるだろうな。
「生きる」を見て、「LIVING」出てくるクレーンゲームのうさぎが、オリジナルへのオマージュだったとわかって、「生きる」見てよかったなって思いました。
そこなのって言われそうだけどだってそういうの好き。
何を書いてるのかよくわからなくなってきたけど
原作で驚いたのはピエトロが育ったのはトリノじゃなくてミラノだったこと。
時代設定的に私とピエトロは年が近く、まだ大きな街には公害があり、両親は戦争の終わり頃の生まれで、親戚に戦争に行った人がいたりする感じがなんかわかる、感があるかも。
トリノだったら当然だけど、ミラノでも時々天気の加減で山がはっとするほど大きく近く見えることがある、みたいな描写があり、それは須賀敦子さんの本のなかにもあった気がした。
読んでいるとなんだか自分の両親のことを同じような感じで書いたらどんな内容になるかしら?みたいなことを考えちゃった(笑)
自分の知らない方言を話す両親の感じ、私もわかる。
1章読んだだけでこんなことをだらだら書いてるようでは全然読み進められないな...。
ほんとにどうでもいい続き
ベネトの本社に行かせてもらえたのはその1回きりで、一人で前乗りしてベネツィアで前泊して、上司と合流して、会議のあと上司とベネツィアにもう一回後泊した。
いい時代だった。
5月でケシの花が咲き、会議の会場はブドウ畑に囲まれたペンションで「カエルの小道」という名前だった。
参加者全員で外に出したテーブル(または近所のレストラン)で3食ともにするのだけど、会議しに行ってるのか美味しいご飯食べに行ってるのかわかんないな、と思っていた(笑)
私は自分が関係ない会議は免除されたので、宿の奥さんが「息子のでよければどうぞ」って貸してくれた自転車にのって、そのブランドの発祥の地の村まで行ってみようと思ったんだよね。
奥さんが「この道をまっすぐ行ったら看板があるから、そこを右に曲がったらつく。簡単よ」って言ったから。
確かに簡単だった。
でも奥さんは、右に曲がったあとの急勾配を全く考慮してくれていなかったんだけど。
トラックがぶんぶん走ってる細い道も怖いし、行きの急勾配で半べそになって、死にそうになりながらたどり着いた村でタクシー呼んで帰りは車で帰ったんだけど、会議参加者全員に大爆笑された。いい思いでです。
ちなみに奥さんは車でしかその村に行ったことがなかった。まあ車ならほんとにすぐなの。
帰れない山の原作の冒頭をちょっと読み始めてみた。ピエトロの両親はベネトの農村出身で(正確にはお母さんがそうで、お父さんは戦争孤児)、結婚前にはドロミテの山々を登っていたと書いてあった。
私が昔働いていたのはイタリアのスキーブーツメーカーで、強豪ブランドも近いエリアにあり、ミーティングで行くと泊まるホテルも似たようなとこになるので、ホテル宛にファックスを送るときはすぐ取りに行けとか言われたりしたんですよ。
インターネットがまだまだの時代ので、出張してる人には連絡手段としてホテルの部屋に電話かファックスを送ってフロントに取りに行ってもらうわけ。
過去にその文面が間違って競合ブランドの人の手に渡って問題になったことがあったという話だった。(まあだいたい顔見知りなんだけど。とても狭い世界で)
脱線したけど、なぜそんな近い場所にスキーブーツメーカーが集まっているかというと、もともとベネトの地場産業が革靴で、登山用の靴を作っていたブランドがスキー用のブーツ(昔は革製)を作るようになったから。
スキーブーツは作らなかったけど登山靴は作ってます、って会社もたくさんあった。
そのうちのひとつを本社が買収したので、私はそのあと登山靴ブランドの方の本社...というか発祥の地の小さな村にも行った。
成人。shipper。字書き。TGM /🕸32 /Dune /Tenet /Dunkirk /007 /TOG。日常ばかり