人権状況の改善では、正当な意義申し立てを、長期間にわたり続ける姿勢が大事だ。反対に、忘却はアンチ人権側の強力な武器だ。
南アフリカはICJ(国際司法裁判所)にイスラエルの戦争犯罪を提訴した。しかし米英独仏加などはイスラエル支持(日本は?)。南アフリカの主張がどこまで認められるか、まだ分からない。
それでも、南アフリカは今回の提訴が決定的な成功を収めなかったとしても、今後何十年でもイスラエルのアパルトヘイトとジェノサイドを指摘し続けるのではないか——そんな気がしている。
南アフリカのアパルトヘイトを国連が指摘、批判してから、アパルトヘイト政策が撤廃されるまで、約30年。人権の問題は、本当にゆっくりと前進してきた。
時の権力者は、正当な異議申し立てを一時的に無視できるかもしれない。しかし何十年、何百年もごまかし続けることはできない。正当な言葉と時間は強力な武器だ。
この考え方を気に入らない人もいるだろう。こうしている間にも、人権侵害を受け、虐殺されている人々がいる。一刻も早く問題を解決するべきではないか?
もちろん、正当な手続きにより迅速に人権状況を改善できるなら、その方がいい。だが、急ぐあまり正当性を損なうことがないよう、注意深くありたい。人権を守るものは、正当な言葉なのだから。
ちょっと補足します。お題は「民主主義について」
自分も若い頃には、この手の話(正当性と長期戦)を嫌っていたと思うんですよね。「迅速に、強制力を持って、確実に、人権状況を改善させる方法はないのか!」。そんな風に思っただろう。
この考え方の帰結は「権力を握ればいい」ということ。独裁者になれば「ぼくの考えるさいきょうの人権」をただちに実現できる。法治国家であっても、議会の多数派を握り法律をバンバン通せば、強制的に人権状況を改善できる。
しかしながら、権力者が正当性を持っているか否かを権力者自身に決めさせるやり方は腐敗を招く。第三者のチェックが必須であり、つまり民主義を機能させることが必須となる。
すると、次のベターなアイデアは、「より大勢の意見を取り入れた、より高速に機能する民主主義を実現する」というもの。
台湾のデジタル省は「民意を政策に取り入れるためのデジタル技術」を実際に試みています。これは世界の最先端の一つだろうと思っています。